Stage-ZERO 第4話
閉じ込められたという感覚が本能的な恐怖に結びついたとみるなら、その行動はとても納得のできることだった。
手を貸すかどうかは、さておき。
制止よりも早く、命ずる声の威勢が勝ったとは言わないでおこう。
「ぶち破って、青乎(せいこ)っ!」
玉蘭は地面踏みしめ、真直ぐに前方を指差して。
降り注ぐ陽射しの中に何が飛び出るか、慌てて身を捩ったタイラーが固唾を呑んだ一瞬。
あれ? ときた。
判るくらいに困惑した表情で足下を見下ろし、玉蘭は何度もパタを繰り返す。それはつい先刻も見た仕草。
あの時は、勝手に出て来るらしい使い魔を還すため、だったのだが。
「……どうしたんスか」
「出てきません」
玉蘭は断言する。その間も往生際悪く、奇妙な調子で、ぱたぱた、ぱたぱた、地面を叩いてはいたけれども。
生真面目な表情に、タイラーは無言で頷き返す。
試してもいいのかもしれない。力技で押せば破れそうに思う。
だが、アルシアと名乗った少年が突き付けたのは「正解」だった。
出るための解。
見習いの知識レベルを試すという意思表示。
それは、会ったばかりの相手と上手く情報交換をしなければ導き出せないことを、意味してはいないだろうか。
「難しい事じゃないと思うわ」
眉間に力の入ってしまったタイラーと違い、玉蘭に悲観な要素はないらしい。足下の跡を踏み消しつつ、
「マスターは光法の導師。なのにわざわざ黒法を使ってみせたこと、大きなヒントだと思いません?」
「……いや、俺はその邪法関係ほとんど知らないもんで」
「あ。そっか……」
黒法操る人間を間近にしたのさえ始めてなタイラー。邪法とさえ呼ばれる魔力の取り巻く状況承知の玉蘭が思いつくようなヒントなど、考え至るわけもない。
だからと黙っていては出られないのだ。
「その理由は?」
「----呪符。あたし達がさっき討った幻影の発動、魔法陣じゃなかった。だから意味あるかなって」
「なるほど、ね」
「そっちは何かないの? 魔法剣士の特性とか」
「特性スか……」
きっぱりした見解に反する材料のないタイラー。あまりにも短かった少年との会話を思い返しても、首を捻るばかり。
「……似てるかもしれない」
「似てる?」
「魔剣士てのは、基本エネルギーを剣に入れておくことで魔法陣の代わりにするんスよ。無機物に干渉してはならないっつう4大の原則に反する点は、そのフダとかいう技に似てるな、と」
「そうなんだ」
と、驚きを素直に黒瞳へ滲ませつつも、
「やっぱりそれがヒントね。お互い無縁なところに着目しろなんて、いくらなんでも無理だと思う」
「頭カタいのは駄目だっつってませんでしたっけ」
「選択肢を無闇に広げるようなこと、言わないでよ」
腕を組む、物怖じしないその態度。
誰かに似ているなどと思えば、タイラーは苦い笑いを堪えることができなかった。
「何よ、」
「しっかり腹ごなししてりゃ良かったなってさ」
「……持ってないわよ、何も」
「苦手分野はよけいな体力消耗しちまう性質で」
固形物が咽喉通らなかった上陸以前はともかく、空腹を覚えた時にすら、林檎ひとつ口にしただけ。それも件の少年に押しつけられたものとなれば、胃が痛くなってくる。
「----しっかり考えてよね」
そう息を吐いた玉蘭は、みっちり着込んだ胸元を少し寛げながら、快く晴れた空を眩しそうに見上げる。
「無様に救出なんて顛末御免だわ」
「まあな。夕食ってことは、日没がリミットだな」
「干上がっちゃいそう……」
タイラーから見ても厚着と判る玉蘭の出で立ちは、寒冷地だと聞いた極東のものかもしれない。最もこの地の人間にすれば、長衣で腕まくりのタイラーも同じ人種だろう。
「こんなことなら、あの林檎、食べなきゃ良かった」
「リンゴ?」
と、タイラーが返せば、顔を扇いでいた玉蘭の手が止まった。
明光の下で尚も鮮やかな、黒い瞳。怪訝そうに瞬いた後、見開いていく。
「----もしかしなくても林檎もらった、とか」
「バザーでな。リンゴ屋だっつてたよ」
「あたしも」
「それだと思うか?」
「暗示の媒体ね、」
玉蘭は迷わず頷き、
「食べることで術に掛かった。----どうかしら」
「ああ。発動のきっかけは声、“仲良く”の反発行動だな」
「異議無しだわ。だって有り得ないもの、青呼がいきなり攻撃しかけるなんて。失礼しちゃう」
反応を見せない足元に落とされた真剣な眼差しで、柄を弄くっていた無意識の手に力が篭る。
無理やりに魔力を引き出された----とは、今にして思う違和感かもしれない。だがタイラーもまた、あの抜刀の速さにこそぎょっとした。
剣を手に、意識せず魔法を使える段階ではないがこそ。
あの雑踏の中で掛けられた声を違わず聞き取れたのも、狙い定められていたのだろう。
とんだ上陸記念だ。
「……聞いてる? タイラー、」
軽く首傾げ、玉蘭は何時の間にやらフィールドの側に立っている。また“青呼”なるを仕掛けるつもりかと構えれば、少しむっとされてしまった。
「あ、いや……、何?」
「言問(こととい)の方法よ」
空中へ添えられた手を中心に、微かな光の波紋を広げつつ存在を主張する見えない膜。
これに解を伝えることがフィールドの解除、真の正解であるのだろう----肝心の魔力封じられた状態で如何に成すか。
「難しくはない、か」
玉蘭の前向きさを否定するつもりはないが、どうも腑に落ちない。
刹那の間すらなく、魔力の気配絶てるほどのレベルで形成されたフィールドに、何故今の状態で触れることができるのか。
解を探っているのだろうか、玉蘭はゆっくりとした歩調で内周を歩き始めている。添えたままの手が描く揺らめきは、とても静かだ。
「綺麗ね……」
強い日差しに舞う音の無いきらめきと、苦い笑い。
波紋はいつしか連鎖を起こし、向うタイラーの傍まで流れてくる。
不思議な光景だった。
しっかりと地面踏みしめる目の前だけが、水面の景色。
指をくすぐる感触は本当に水のようで。少し力を込めればわずかだが、沈む。
「ん?」
肌をかすめるその感覚を鷲掴んだ途端、
「やだっ何これっ!?」
驚きの声は玉蘭。同時に、握った手の中で、その妙に生温かいものが暴れ出した。
まさかと笑えないこの状況、試しに力を込めてみれば、やはり。
「あーもうっ! 気持ち悪いぃ」
耳を刺す抵抗に思わず腕引いてしまったタイラー。
と、バランス崩した玉蘭は前のめりで光の壁へと吸い込まれ、違わず一気に腕引き抜けば、素っ頓狂な叫びと一緒によろめき出て来たのである。
「----おかえり」
無愛想な声を、呆然と見上げる玉蘭。表情が少し強張っている。タイラーにすればほんの一瞬の出来事も、状況知らない彼女とっては恐慌でしかなかったはず。
「……大丈夫か?」
素直な頷きにほっとする。
「何つうか、この外繋がってるらしいぞ」
「……え?」
忙しく瞬きを繰り返し、徐々に混乱晴れていく様子がよく判る。頼りなくなっていた黒瞳には、やがて強い光が滲み始め、
「ちょっと! それどういう意味よ!?」
それはまるで合図だった。
容赦なく弾けたのは怒りに非ず。
二人を取り巻く空間が、淡い光を放つとそのまま砕け散ってしまったのだ。
立ち尽くす身に触れるよりも早く、無数の破片は、太陽の光へ還るように消えていく。
脆いまでの幻想は、いつまでも目の裏に残る鮮やかな乱舞。
乾いた風に撫でられて、タイラーは少しだけ判ったような気がした。
光の導師----
「行くか」
「……そうね」
仰いでいた空から視線を戻した玉蘭と共に、今度こそ、新たなる一歩を踏み出した。
街へ戻り、その住処を探し出してもきっと十分なくらい、太陽はまだ、木々の濃い山並み高くにある。
最初こそは兄弟弟子がいるなどと、想像だにしなかった。まして女性、邪法使い。
本来なら互いを知るに相当な時間要するはずが、有耶無耶な勢いで馴染まされ、今はもうそれも些細なこと。上手くやって行ける確信に変わりつつあって。
「にしても、暑いな」
「先に水分補給しなくっちゃ。もたないわ」
「またリンゴとか」
「あ、それはしばらく要らない」
「それ上着なんだろ。脱いじまえば?」
「一応正装だったりするのよ」
「生地の?」
「ええ。本当はベールも着けなくちゃいけないんだけどね、この気候でしょ。やってらんないわ」
肩を竦める気楽さに笑ってみたり。
行きに慌てて駆けた砂地の道を、こんな風に言葉交わして連れ立つとは思いもよらないことだった。
裾野に広がる白い街。そして修行の日々に起きるだろう出来事。
見知らぬ先への不安は今、肩を並べる存在と、小さな楽しみにも成りそうだ。
一刻も早く辿り着きたかった。
陽射にジリジリと焼かれ、噴出す汗に、一枚、また一枚と衣装を脱いで、ついには道端へたり込んでしまう前にこそ。
「どうやって出ろっていうのよぉ」
嗄れた咽喉が押し出す悲鳴。
もうすっかり薄着軽装に化けた玉蘭を引き摺り、日陰へ逃げ込んだタイラーも、長衣はとっくに荷物の中。
一筋の水くらい沸いてないかと見回せど、此処は要らぬほどの瓦礫転がる、ただの廃墟。風通しだけは十分な----スタート地点。
おかしいと判るまで、さしたる時間はかからなかった。
進めども進めども街は遠望のまま。こんなに遠かったのかと何気なく顧みたタイラーは、無言で玉蘭の肩叩くので精一杯。嫌そうに倣って後、すかさず高笑いした兄弟弟子には感心したものだ。
これもまた解を握っているのか、と。
「見なかったことにするわ」
あっさり言い捨て、再びの検討会は歩きながら。
わずかでも、少しでも早く進もうとした気持ちに報いる成果は、玉蘭自身の離脱。体力には自信のあるタイラーでさえ、息が上がり始めていた。
「……ありがと」
引き千切った低木の葉で仰いでも、火照った頬に効いているとは思えないのだが。
「じっくり考えりゃいい」
「ネタ切れだってば……」
「だったら余計にな。急いてちゃ出てくるものも無くなっちまうぜ」
魔法が使えるようになってさえいれば、余裕はまだ保てたのかもしれない。
どう足掻いても“砦の小道”へ戻って来る仕様だと、流れる汗に諦めがつき、自力脱出に切り替えた。
だが、先のようなヒントという目標物の無い状態でこのイリュージョンの原因を探るに、タイラー達の当ては魔力のみ。それぞれが、好みの方法で、あるべきもの、を探し始めれば直ぐ集中させた意識が蹴散らされ、嫌な予感はそのまま魔法の不発として表れた。
いまだテストの途中であること。
魔力以前の資質を問われているような----じれったさ。
とはいえ、歩き回って目視するより堅実な手段思いつきもしない不足は事実で。
焦りだけが着実に積もってくる。
間に合うと思った油断を焼く太陽はまた少し、山の頂に近づいていた。
成せば成るかもしれないぼくら Stage-ZERO 第4話
20070525
image by 七ツ森