成せば成るかもしれないぼくら
Stage-ZERO  第5話

 学者が好む閑静さになど、今更興味そそられることもないのだろう。オリーブ畑も近いというのに、活気溢れた街の片隅にある遺跡からは一向に人の気配見い出せなくて。
 崩れた壁面を半分程登った所でタイラーは、幻術の基幹捜索を放棄した。
 一見では決して判らない場所に、目隠しを設けて潜ませておくのが空間幻術の基本。ならばと例の少年が居たバルコニーらしき部分を覗いてみようと思ったのだが。

「これ以上は無理だな」
「登り損ね」

 暫し涼んだことで楽になったらしい玉蘭は、腰上げたタイラーの意図に気付くと無駄を主張した。
 魔術使えない人間を相手にそれでは露骨過ぎる、と。

「今はサバイバル演習じゃないんだもの」
「砦には隠し通路だろ」
「何が、」

 と呆れた風に返され、タイラーの眉も寄る。

「いつそんな物になったの」
「……何が」

 指定された待機場所の名称が“砦の小道”である以上、この廃墟を防衛の建築物とみるのはおかしいことではないはず。
 だが玉蘭はますます妙な表情浮かべ、

「あたしはお城だと言われたわ」

 誰に、などと訊くまでもなかった。
 タイラーがこの場所へ足運んだのは、GMによる指示。
 玉蘭も同じく伝言されたに違いない。
 そして上陸後に誘導されたのだ。
 砦の遺跡へ、
 廃城のある場所へ、
 違うことも、疑うこともなく。

「やられたね……」

 こめかみ抑えた玉蘭の溜め息は深い。
 基礎を試されていると自覚していて、これだ。
 足早に木陰へ戻ったタイラーが、待機場所とされたこの地の名称を綴れば、小枝手に取った玉蘭もその脇に記す。

「アナグラムの解読得意じゃねぇから」
「これって同じ意味成す復音(ふくいん)語でしょ。だったら言葉の分解と再構築で済むわよ、たぶん」

 呪文を会得するにはまず、隠語として伏せられた意味を調べることから始まる。
 学院での日々とは、魔道書に封じられた言葉の解析に費やした時間に等しく、魔術を修めんとするならば避けて通れない必然。
 故郷から持ち出したわずかな荷物を引き寄せたタイラーに対し、玉蘭の手はもう動き出していた。
 白い砂地に羅列されていく言葉の断片。
 見たところ最も普遍的な方法から試しているようだが。規範照応表を空で覚えているというのか。

「ん、」

 玉蘭は小さく頷き、母音子音バラした単語のひとつに丸印をつけた。
 〈だ〉と読めるそれに続いて〈せ〉を拾い出し、わずかに迷いながらも〈か〉、そして〈い〉を三度も選んだ。
 そこで一旦手が止まり、反応伺う眼差しが向けられるが、タイラーはただ頷き返すだけだった。
 幾度か文字を組み替えていれば、やがてひとつの言葉が生じてきた。
 渇いた地面に示されたその意味は----

『だいせいかい』

 揃って肩を落としてしまった。
 何と端的なことか。
 それでも風向きは変わった。
 強い風に洗われたかのように、まとわりついていた違和感が消える。
 これで、やっと。
 今度こそ。
 勇んで立ち上がった身体が軽い。相応に負担かかっていたことを今更に知れば、思い切り息を吸い、硬直した。
 
 風景がまるで……違っていた。

 濃い枝葉に埋もれた廃墟が消えている。あちこちに転がっていた瓦礫さえも、風に攫われてしまったのか。
 人気絶えた静けさは轟たる風鳴りに浸食されて、立ち尽くす二人の前に代わって聳えるは、岩肌黒々とした崖。そして奈落のように深い谷。

 全ては最初から仕組まれていたこと。
 何もかも。
 踊らされていたのだ。
 愛嬌たっぷりなあの笑みに。

 悔しさは握った拳に押し込めた。
 辿り着けばいい。
 垂直に切り立った中腹の岩棚の、これ見よがしな白亜の建物へ。

 これが最後の関門。

 だがどうやって?
 恐々と深谷を覗き込んだ顔面に吹き付ける潮風の痛さ。目を開けているのも辛いほどの強風では橋など役に立たない以前、かけることさえも困難だろう。
 まして対岸は、見た所ただの崖。コシカ本島とはこの谷で断絶された場所と考えたほうがよさそうだった。

「自然の風よね。これ……」

 奔放に乱れる長い髪を抑え、玉蘭は、陽の届かない海面を眺め下ろしている。

「抑えられると思う?」
「仮に成功してもタイムオーバーだろ。体力残ってるとも思えねぇ」
「……じゃあ飛んでいくしかないじゃない」
「一緒にやれば何とかなんだろ」
「残念ね。あたし、風は修めてませんから」

 あっけらかんと言われた言葉に目を見張る。
 学院卒業に必要な修業魔法は4つ。そもそもの基礎原素の習得を認められなければ、進級すらできないはず。
 在学経験あればこその当然の疑念に、玉蘭は笑顔で、

「黒法あるもの、あたしには」
「んだよ、それ。剣術は単位外だったぞ」
「基礎法力とは関係ないからでしょ」
「なら、そっちで飛べる奴喚んでみっか」
「そんな大きなの使役できるなら独り立ちしてるわ」
「参ったな」
「でも、飛べればいいのよ、そうでしょ」
「俺が風のマスタークラスになったら言ってくれ」
「バカね。今自分で言ったじゃない」

 すっくと立ち上がった玉蘭はやる気らしい。だがタイラーは肩竦め、

「俺は何も契約してねぇよ」
「かえって好都合だわ。あたしとの相性だってあるんだし」
「何を喚ぶつもりなんだ」

 脳裏を過ぎった街旗のイメージ。
 玉蘭はさも当然といった風に、それを肯定した。

「ここはコシカよ。棲むのは何、」

 と、手荷物探る玉蘭。取り出されたのは魔道書だった。しかしタイラーのものとは違い、褐色の表紙をして、かなり使い込まれた様子。
 薄黄のページを繰る指が止まったのはやはり----召喚の章。

「……無茶言ってんな」
「この縄張りまで入って来れて、人乗せて飛べる幻獣、他にいる?」
「俺等に応じてくれるレベルがいれば、だろうが」
「慎重なのは結構よ。でもねタイラー。マスターに師事できるこの機会、あたしは逃すわけにはいかないの。リスクと引き換えにしてでもね」

 付き合ってもらうから。
 にこりともせずに口を閉じ、玉蘭は準備に取り掛かった。
 真摯な黒瞳に見据えられるまでもない。それはタイラー自身も思うところ。
 無茶をすれば、どうなるか----召喚のリスクでも引換えにできないチャンス。
 申し出た手伝いは、呪文唱詠時の体力に残しておくよう素気無くされた。体力勝負はタイラーに任せると、彼女のうちでは決まったものか。
 その手元はもうずっと、切立つ岩肌が落とす影の中。
 太陽の傾きが今どうなっているのか、イリュージョンから出て以降、正確には判らない。
 陽光はまだまだ明るくとも、一抹の不安はいまだに続いていた。
 真と幻。
 表と裏とを瞬時に見分ける能力に乏しいことは、嫌というほど思い知らされた。
 それでも引き下がれない。
 ここまで来た----来れた以上は。
 着実に組上がっていく魔法陣の傍、タイラーは腰を据えた。
 膝に広げた魔道書が風に煽られ、指の止まった唱詠のページ。
 玉蘭は丁寧に、魔法陣を書き連ねていく。


「……ヘキサグラムで喚び出せるのか?」
「高位幻獣を喚ぶわけじゃないのよ。それに……あたしの基礎力だとこれが限界だわ」
「崩れたりしねぇだろうな」
「そこはアンタにかかってるんじゃないの」

 しっかりと眼を合わせ、今度はにこりと笑んだ玉蘭。
 任せろと胸張れない代わりに無言で続きを促せば、小さく笑って作業再開。
 風は相変わらず耳を突くほどに強く鳴り、見上げた先には、未熟な煩悶我関せずな純白の城。
 居る、と強く感じる。
 紫の眼をした少年の悪戯な笑みが見えるようで。

 辿り着いてやる。

 慎ましく手を叩く音に、タイラーの意識も高まってくる。
 薄く砂塵舞う足下には、四聖文字で飾られた六芒星を芯に据えたひと抱えほどの円陣が、その出番を待っていた。

「スペルは?」
「外周に埋めたわ。覚える時間なんてないでしょ」

 召喚の文句を魔法陣に肩代わりさせるには、術者が唱える以上の魔力と集中力が要求される。だが引き出される力は単純に倍となり、出会ったばかりのヒヨッコ魔法使いが二人、力を合わせるには最良の方法だ。
 そしてリスクは、単独試行よりも少なくなる。互いの魔力の相性さえ合えば。
 わずかに見遣れば、黒い眼が苦笑浮かべた。抱く危惧は同じ、だが手段も時間もない以上、迷いは禁物だった。

「似てんだよな、そういうトコが何かさ」
「……はい?」
「いや。悪くねぇんじゃないかと思ってよ」
「あ、そ。なら----いくわよ」

 小気味良く両の手を打った玉蘭に合わせ、タイラーもまた魔法陣に手をついた。
 静かに、焦らず、ゆっくりと魔力を押し出すことをイメージすれば、呼気ひとつ毎に、砂に引かれた溝が鮮やかな色に染められて行く。
 まずは円陣に、そして芒星の端に力が届き、異なる波動の接触はわずかな緩衝だけを残して融合を迎えれば、埋め込まれたスペルが淡い光を放ち始めた。
 光は緩やかな明滅を繰り返し、呪文の唱詠が進む。
 止むことを知らぬ風は傍若無人に、魔法陣の上を吹き抜ける。
 と、砂粒を巻き込みながらそれは小さな渦を形成し、呼吸が重なる錯覚を全身で捉えた刹那だった。
 いきなり圧迫感が逆流してきた。
 思わぬ出来事に浮き上がった掌を遮り、赤い閃光が走る。
 玉蘭の強張った顔が見えた気もしたが、これ以上魔法陣から離されないよう留めるので精一杯だった。詠唱を途切れさせた後の始末など、自分達にできようはずもないのだから。

「くそ……っ!」

 膝立ちから押さえつける手が、己のものではないような、この感覚。
 自分達の喚び出しに呼応するコレは本当に、望む存在なのだろうか。

「も……どれぇッ!」

 渾身の力で押し戻した抵抗が赤く弾け、咄嗟に飛び下がった玉蘭が声を振り絞った。

「タイラー!」
「判ってらぁ!!」

 掌から急激に遠退いた圧迫が招聘成功の実感。
 魔法陣中央では赤い唸りが吹き荒れ、眩さ増したスペルは出でるものへと最後の一言を吐き出し----

 来る!

 身構える視界に轟たる一陣を見舞い、やっとその姿を現した。
 燦光蹴散らさんばかりに羽ばたく翼は巨大にして、雄々しい。剥き出しの鉤爪を持つ四肢は唱詠続く魔法陣踏みつけて苦にもせず、轟きを一声張り上げた。

 その地鳴りに身体が震える。

 金色の鬣を靡かせる深紅の巨躯を前にして、無残な傷によって隻眼とされてなおも威圧に満ちた睥睨に、声が出なくなっていた。
 コシカ群島に棲む有翼竜は、街のシンボルともなるほどに友好的な種族だと聞いていたのだが。
 立ち尽くし、顔色無くした術師達を品定めする目の前の存在には、陽気な島人にも似るという風情は砂粒ほども感じられない。
 低い唸りを牙の隙より零すそれは、苛烈なる炎のシンボル----ドラゴン。
 示威に広げる紅の翼はただ美しく、彼の存在が位置付けられた高さを物語っているようで。

「まさか……守護聖獣……?」

 いつしか風も鳴りを潜めた谷の狭間。
 慄然の呟きだけが、やけに大きく響き渡った。







成せば成るかもしれないぼくら Stage-ZERO  第5話
20070801

image by 七ツ森

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