成せば成るかもしれないぼくら
Stage-ZERO  第6話

 硬直する二人に据えられた金の隻眼に増す鮮やかさ。
 張り詰めた空気はひたすらに熱く、痛い。口内に溢れる緊張を飲み込むことが酷く辛く感じ、タイラーは、長剣の柄を握り締めている自分に気がついた。
 だが、掌に馴染む感触が与えてくれるはずの安堵は皆無。

「駄目よタイラー! そんなもの抜いたら一発で終わっちゃうわよ!」

 悲壮とも言える声が、易い逃避を拭い去っていく。
 それでも握り締める指を離せそうにもなく、加減忘れた拳の中で、微かに鋼の触れ合う音がした。

 と、敵意とすら取れないであろう恐慌を察したか。
 僅かに巨大な翼が空を掻く。
 例えるなら、身じろぎ。
 ただそれだけにも、空気の孕む熱量が増えた気がする。

 考える時間が、余裕が、何もかもがあまりにも足りない。
 だが、完全敗北前提の玉蘭の制止に従うことは即、終わりを意味するはずで。
 召喚に失敗した者が負うべきリスクを軽く考えていたせいなのか。
 
 呼吸ひとつがもどかしく、玉蘭の青褪めた表情に気付くのが遅れた。
 
 下を見ろ、と。
 わずかな手振りに下げた眼は、自分達の未熟さの決定打。
 十分な魔力を供給されなかった方陣が、基本アナグラムで構成された召喚呪文が、絶対高位のフライ・ガーディアンがもたらす圧力に、遂に限界を迎えてしまったのだ。
 ぽこんと間の抜けた音は地面の上げる悲鳴。
 煮え狂った湯泡のように、ヘキサグラムが次から次へと、弾け、解け、とろけていく。

「ヤバ……」

 地の振動に震えた呟きはどちらのものか。

 幻獣が小さく頭を落とし、飛翔体勢に入る。
 地面と呼べる足場は、これ以上はもう保たないだろう。
 どうやら今が決断の時。
 なれば、迷う暇さえも惜しく----抜刀と同時に走り出していた。
 勝算など、有り得ない。吐き出される一撃だけはせめて躱してやる、そう思っただけ。

 緩慢な速度で全てを捕捉する隻眼に、それはひどく些細で、最も現実的な抵抗手段だったに違いない。

「今度は俺に付き合えよ!」

 そう告げて、突然の行動に虚を突かれたらしい玉蘭を抱き上げた。反射的な抵抗を片腕で何とかやり過ごし、駆け抜けた勢いのまま、崩壊始めた崖の淵を蹴った。吹き上げる潮風が頬を強打し、少し遅れて素っ頓狂な悲鳴が谷間を落ちていく。
 泳げないわよ! と叫んでいるようだが構ってはいられない。
 愛用の剣握り締めた腕一本の反動で半身捻って見定めた、ずっと上。轟音連れで降り注ぐ岩くれの向こう側に、紅蓮の玉を、見た。
 息が止まった。
 全て無駄な足掻きだったと思い知る。
 天空埋め尽す火球は、巨大な落石の群を一瞬で灼熱の雨に替える。
 耳元の悲鳴が消え、奮った剣は脆弱だ。
 まだ何ひとつ始まっていないに。
 おぼろげに浮んだ「結末」という言葉。
 
 熱の猛射に全てが灼き切れていこうとする中、不意に泰然たる声がした。

「この先は俺が引き受けよう」

 遠退く意識を鷲掴み、無理矢理に手繰り寄せる。容赦のない強さ。終わらない気さえした落下から、足場有る場所へ放り出してくれたのは夢ではなく、人の腕。
 玉蘭を抱えたまま転がった無様も、淡い期待にすり替わる。
 身体の痛みを忘れ、必死で上げた視線の先にあったのは、凛とした、広い背中だった。
 目の暗む熱射を物ともせずに立ちはだかり、迫る業火へ、腕を伸ばす。
 刹那、狭い谷間に訪れたのは静寂。いとも優雅に動く指先に、ぽつんと灯った小さな火で、そっと火球に触れる為だけにできた空白に、タイラーは魅入られてしまった。
 まさに、拭うように、だった。
 瞬きひとつの間で塗り変わった景色は、青。渇いた風になびく、黄金色の長い髪がよく映えていて。
 この救い主は何者なのか。
 覚えているのは、待っていたのは、長身のまして逞しい背中ではなかったはずで。
 しかし今は、ハイ・ランクと思しき救い手の素性を問ういている場合ではない。
 空にはまだ睥睨するものが居る。

「資格満たぬ愚か者が辿るべきは、古今ひとつの道しかないだろうがな」

 深く低い声は悠然と空へ向かって語りかけ、愚か者はただ項垂れるだけ。 

「此度一度きりだ、俺に、……いや、お前達の庇護者に免じ、見逃してやってはくれまいか」

 それは交渉というより、説得。対等以上の力を示す者だけに許された術に、睨み合いと呼べる時間すら必要ない。
 赤い翼が豪快に、了解の意思表示であるかのように広がった。そして緩いひとかきに纏った炎はみるみると巨躯を飲み込み、耳覆いたくなるほど鋭い咆哮を置き土産に、消えた。

 詰めていた息を吐けば、痛感してしまう。
 巨大な名残の陽炎も簡単に済むだろう。
 力さえ、身につけば。

「有難うございます! 助かりました!」

 額を打ち付けんばかりの勢いで下げた頭に、浴びせられるは冷ややか。

「何処の無能だ。所属を言え」
「はいっ、俺は、その……」
「アンダークラスか」

 溜息は露骨だった。

 通じる資質も、普遍の肩書きも持たない、魔法を使えるだけの人。
 王立といえど学院を卒業しただけでは、この世界、その程度の認識しか与えられない。魔法使いと呼ぶか、魔術師を名乗るかは個人の自由であるにしろ、救い主が口にした言葉は、魔法に携わっていると胸張って公言する為の最低ラインに属することを意味していた。
 普段ならそれで良かった。見栄を張れば何故か必ず降りかかる最悪に、対処ではなく、解決する力さえもまだ持っていないと、きちんと自覚している。だから無茶は避けてきた。
 可能な範囲で、最大限を。それが信条だった。
 
「そっちは……珍しい。邪法使いか」

 断定的な口振りにはっとして見返れば、青い顔の玉蘭と目が合った。
 説明しろとばかりに、視線を外そうとしない。
 だが、タイラーには今、満足な形で応じてやるだけの余裕はないのだ。

「そう聞いています」
「連れではないのか」

 今これから共に弟子入りする間柄ですとは言えず、タイラーが選択したのは、間の悪い沈黙。
 それを、彼の人はどう解釈したのか。
 顔を上げろと命じる声が、怖い。
 このままでは何も言い繕えないと、素直に従い、驚いた。

 声の印象、振る舞い、若いとは想像できたが。煌びやかな長い金髪が、これほどまでに似合う顔立ちだとは思いもしなかった。
 眦涼しい切れ長の眼は紺碧の海と同じ。高い鼻梁、端整な口許と、それは華やかな美しさ。だが、どことなく野性味の滲む凄みが存在し、端麗な容姿から甘さは一切感じられない。
 駄目押しは、腰にはいた一振りの剣。

 猛る幻獣に真っ向から立ちはだかった救い主とは、どんな理由も未熟の言い訳にはならない相手。
 非を犯した自分達に残る時間が、ほんの少し延長されただけ。

「温情請うてやる価値など無かったようだな」

 宣言は粛々と下される。

 細心の注意を払ってもまだ無駄と思うくらいの注意を払え。
 召喚を試みる際の、最も基本的な心構えだと教えられた。
 でなければ計り知れないリスクが待っていると、懇々と説かれた意味を勘違いした結果----覚悟を強いるように、青年の鞘が鳴った。

 暮色の気配まだ遠い南国の空。
 悔やまれるのは、ただひとつ。
 故郷を出た意味がすぐ目と鼻の先にあったかもしれない、そのことだけで。

「……こんなのってない」

 小さな玉蘭の声。
 肩が奮えている。
 重苦しさに固く手を握りしめ、

「あたし達はただ前に進もうとしただけだわ。なのに……」

 真直ぐ向き直った。
 タイラーへと。

「まだ終わってない!」

 睨みつけてくる黒瞳に気圧された。
 彼女は言い放ったのだ、リスクと引き換えにしても、と。
 あの豪語に秘めた思いを、玉蘭はまだ、ひと欠片も失っていなかったのだ。
 気丈で懸命で。
 簡単に項垂れる姿を、さぞやじれったく眺めていただろう。

 力が足りないことなど、最初から判っていたはずだ。
 だからこそ賭けに出た。
 一度は決しかけた勝負、だがレートそのものが変わってしまった以上、仕切り直しは当然のこと。
 結果も、また。
 南国の空、暮色の気配はまだ遠く----無表情な碧眼に対峙した。

「それなりの理由つうのが、俺達にもあるんで」
「勝手に価値を決められちゃたまらないわ」

 傲然なその忘恩に、豪奢な指輪をはめた手がゆっくりと上がっていく。
 タイラーにさしたる余力はなく、剣も失った。両手を組み合わせた玉蘭とて同じようなものだろう。
 だが、迷いはもうない。

 幻獣のそれとは比較にもならない火焔、沸き上がる暗色の塊は朧げな、渾身の一撃。
 無感動に、ひらりと。風撫でるように軽く翻った青年の手に、消え去った。

「よく刃向った」

 いっそ清々しいくらい、呆気無い幕引き。
 へたり込んだ玉蘭から笑い声が漏れた。

「ありがとうございます」
「ならば、立て」
「や、無理スよ」
「あたしも」

 と、素直に首を振ってしまう口ぶり。最後通告のせめてもかと思えば、少しだけ、腹が立ってはくるのだが。

「仕置きが過ぎたな」

 一歩踏み出す姿がぼんやりと発光し、歪む。
 急激に瞼の重くなる中、ひょいっと覗き込んできた瞳は何故か、アメジストの色をして。

「2人ともごめんねー」

 暢気な声に、緊張が切れた。

 疲弊した身体を受け止めてくれた心地良さ。太陽の匂いを一杯に含んだそれは、光の絨毯のようで。
 目映さはただ柔らかく。
 睡魔に抗う気概は根こそぎ奪われていった。







成せば成るかもしれないぼくら Stage-ZERO  第6話
20071028
20071101 誤字修正

image by 七ツ森

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