成せば成るかもしれないぼくら
Stage-ZERO  第7話

 耳の奥深く、ざわめきが染みる。
 ひたひたと押し寄せ、引いていく単調さ。
 時折頬撫でる、少しばかりひんやりした感触も気持ちが良くて。
 まあいいか、と。何かを意識した途端に目が覚めた。

「……ドコだ、ここ」

 慌てて起きてみれば、ソファの上。
 無彩色のリネンを敷き、ふかふかのクッションをいくつも転がし、付いた手が沈んでしまう柔らかいソファで、手足投げ出すくらいのまどろみを貪っていたらしい。
 慣れない様に戸惑いが沸き、タイラーは鈍い頭を何度も振っていた。
 
 部屋、だった。
 用途定からぬ物があちこちにあるわりに、家具は少ない。必要最低限。だから異様に広く思うのか、扉も窓も開け放たれてあるせいか。
 そして白いのだ。切り出されたばかりみたいな石灰石が壁と天井を形成し、陽光をやんわりと反射する。

 明るく、見るからに南国的な部屋に居住するのが誰か、今のタイラーにある心当たりは一人だけ。
 丁度頭を置いていた場所から対角に、もう一対のソファがあって、そこで玉蘭が安やかな寝息立てているとくれば間違いはないだろう。
 意識失う直前に見た、あの紫の瞳が夢でないのなら。 

「あの……誰か居ませんか?」
 
 返答はなし。声量を上げ、もう一度試してみても同じだった。
 潮香の風が吹き抜ける不用心は近辺にいる証拠かもしれないと、改めて目覚めた場所を見回したのは、時間潰しだった。
 空間は存分にあるというのに。使い方がまるでなっていない。
 ソファの傍ら、小さなテーブルの下、隙間という場所には、表紙から難読な分厚い本が堆積してあったり。封のされたどす黒い壷、七色に輝く土人形、その他諸々明らかに怪しげなものが転がされ、整理整頓つもりもない性格なのだとよく判る。だが、有るものは全て一般家庭に縁のない珍品、興味引かれる品物ばかりだと理解できれば、主の登場が待ち遠しくなってくる。

 と、玉蘭が小さく身じろいだ。
 タイラーの気配に起こされるかと眺めていたが、気持ち良さそうに寝返ろうとするので諦めた。

「おい、」

 黒髪の下敷きになったクッションを手荒く揺すってみる。
 低く呻いて目を開き、そこに誰を認めたのか。恐ろしく険悪な表情で、

「……なに。」
「起きろ」
「どうして」
「んなこと言ってる場合じゃねぇって」

 周りを見ろと促せば、素直に首を動かし、固まった。

「----此処は?」
「さあな。俺も今さっき目が覚めた」

 簡潔にそう応ると、首を傾げ、目を閉じる。また眠るつもりかと思ったほどの沈黙を経て、玉蘭は、

「あたし達、金髪の男に助けられたわよね?」
「そうなるんだろうな、あれは」
「マスターを見た気がするんだけど……」
「俺もな」

 玉蘭はまだ若干、意識が覚めきっていない様子。頷いたタイラーに、何が、と聞き返してくるから。覚えている情景を話すと、苦く笑んだ。

「やっぱり手の内だったわね」
「フライ・ガーディアンが本物なら、な」
「そこまで疑うの?」
「いや、本物だとしてもだ。助けるつもりあっての行動なら、あの金髪男に意味はねぇだろ?」
「かなりの男前仕立てよね、ちょっと見惚れちゃった」
「は?」
「凄く怖かったけどね」

 と、呆れるタイラーへにっこりと作った笑顔。調子は戻ってきたらしい。

「あの慣れた物腰、マスターの創作人格だとは思えない」
「顔見知りが形成ソースって? そういえば……」

 気になっていたことがひとつある。
 だが、タイラー達のレベルが釣り合いもしなかった事実を省みれば、有り得ない行動ではないのだが。

「ああ、悔しいっ」

 悔しい、と。
 そう連呼して、ソファにひっくり返ろうとした玉蘭の握り拳が、ゴツンと、窓枠を飾る鉢植えに当たった。
 思わぬ力が入っていたのだろう、2人の視線の中心で、大袈裟なくらいにぐらついて。
 タイラーは、風にたなびくほど長い葉っぱを鷲掴み、玉蘭は無理な姿勢のまま、根元付近から生える根っこのようなものを、握った。

「ん?」

 同時に声が出て、目を見交わし、血の気が引いた。

「いっ……てぇ!!」
「何よこれ!!」

 窓枠の端に鎮座する鉢植えの植物。自力で戻ったみたいに、潮風に晒されても青々と元気一杯な葉っぱを揺らしているが。
 よく見れば、奇妙な形をしている。木とするには長さが足りず、草花と見るにもサイズが大きい。
 茎か幹か、土から伸びた部分は太く逞しく、田舎に育つ芋に似た茶色。一抱えもあるそのてっぺん、花の咲くであろう場所には、例の長い葉っぱが4枚きり。

 そして、動いた。

 硬直する2人の目の前で、ゴリッゴリ、と素焼きの鉢底をこすりつけながら、だ。

 悪寒がした。
 あまりにも規格外サイズに考え及びもしなかった、可能性。
 角度を替えれば、両脇からひょろりと出ている枝めいた、短い腕も見える。先刻の無礼行為のせいだろう、醸し出されるオーラは非常に不吉で、もはや人型にしか見えないこの植物の、正体とは----王立学院ですら『危険』との理由で、遠望しか許可されていなかった毒草。

「そんなわけ、」

 続きは思い切り飲み込んだ。
 完全にこちらへ向き直ってしまった、それ。固そうな表皮に瞬く、瞳を持たない三白眼は、決定打だった。

「ァア」

 くり貫いた穴のような口が、ぽこんと、音を吐き出して。
 潰す心積もりで耳を押さえてまで聞くまいとした生存本能はしかし、強力な悪意の前では赤子の仕草。
 皮膚の下に流れる血液の、生命の息吹に集中していても。忍び入る低い唸りに震えが駆け上ってくる。
 流れる汗の間から確認すれば、玉蘭は身体ごと丸めて悶絶中。

 誰が思うだろう、南国の照り輝く太陽の下、素焼きの植木鉢に毒魔草・マンドラゴラが棲んでいる、などとは。

 油断したつもりはなかったのに、この顛末。
 きつく閉ざした瞼に陰が落ち、温かいものが頬叩く。
 何度も、何度も。
 挙句には耳覆った手を無理やり剥がそうとまでされてしまい、タイラーは堪らず悲壮な声を張り上げた。

「てめっ何しやがんだよっ、死んじまうじゃねぇか!!」
「それだけ元気なら大丈夫だって」

 マンドラゴラ入り植木鉢の隣に胡坐をかいて、林檎山盛りの籠を抱えた少年はそう口を尖らせる。
 いつ、現れたのか。
 窓の向こうは断崖絶壁だったはず。
 否、簡単な仕儀か。
 光の導師と同じ名を持つ、無邪気な光湛えた紫の瞳の少年なら。

「マスター!」

 狼狽えるタイラーに、玉蘭もがばりと身を起こす。

「すんませんっ俺今怒鳴りつけて、」
「オレはいいんだけどさ」

 いつかのように、ひらひらと手を振りながらも、少年・アルシアは難しい表情。
 伸びた背筋に汗が流れる。

「仲良くしなきゃダメだろ」
「……は?」
「ドラちゃん怒ってるじゃん」

 ほら、とばかりにアルシアが顧みるのは傍ら、その上身と同じくらいの身丈をした植物。生やした葉っぱをぐるぐる回す姿は、成る程、威嚇姿勢に見えなくもない。

「あたしは、その……不注意でした。ごめんなさい」

 玉蘭は下手に反論しないと決めたらしい。
 一体何をされたのか、ぴりぴりしたものがまだ肌に残っていた。

「だってさ。許してあげなよ、引っこ抜こうとしたんじゃないみたいだから」

 そう宥められた巨大植物は、アルシアを眇めつつ、タイラーや玉蘭にもはっきり判る仕草で頷いた。

「それはやっぱり、マンドラゴラなんですか」
「あれ、判らなかった? もしかして実物見たことない?」
「もっと小さいものを、遠くから眺めたくらいで」
「じゃあしょうがないね。ドラちゃんちょっと大きいし」

 ここの土が良いんだよね、と。アルシアは随分楽しそう。膝元の2人の困惑には気付かないのか、知らぬふりか。

「これからは気をつけるんだよ」
「心得ました」
「ドラちゃんもね。彼らとは、しばらく一緒に生活してくんだから」

 不機嫌な表情を諭す何の気の無さ。
 危うく、聞き逃してしまうところだった。

 夕食までに来いと言われて始まったテスト。
 重大なミスを犯し、あと一歩辿り着けなかった現実は、果たしていつの出来事なのか。
 黄色いシャツの背後一面にどこまでも広がる青い海。きらきらと光る水面の色は、暮色の時では見えないだろう鮮やかさ。

 玉蘭と目を見交わし、タイラーは頷いた。

「マスター」

 正した口調に、アルシアは小首を傾げる。

「教える意味はあると、俺達は認めてもらえたんでしょうか」
「帰れなんて今さら言わないけど?」
「ですがあたし達は、」
「うん、オレがいかなきゃ君らはここに居ないだろうし」

 それが紛れもない現実である以上、弁解はしない。自分の力も、限界も、判った。

「あれから新しい陽がひとつ昇ったんだ」
「そんなにも……」
「ん、まあね、君らのことは気に入ったから」

 安心すればいい、と。
 簡単に笑う少年がひどくもどかしい。
 胸の痛くなるような期待など、最高の称号得た存在にはもはや無縁なのかと苦くなり----

「よろしくお願いします」

 ようやく立てたスタートライン。
 掴み得るもののための一歩目は、深々と下げた頭だった。







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成せば成るかもしれないぼくら Stage-ZERO  第7話
20071109

image by 七ツ森

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