First-Stage 第1話
足の踏み場もない、とはまさにこの場所を言うのだろう。せめてもの救いは、埃っぽさがないことだけ。
息苦しさと軽い眩暈を覚える質量を前に、タイラーは文字通り、途方に暮れていた。
「ったく、無茶言うぜ」
「それはあたしの台詞!」
向かい端に居る玉蘭は耳聡く、ひっそり息を吐き出せば、サボるな!ときた。
しかし気力は早くも萎えていて、手近な山を掻き回すのさえ億劫だ。
これでやっと修行という希望が始まるのだと、感無量に浸る間もなかった。
籠一杯に入った林檎の中から、さらに熟れたひとつを選びながらアルシアが言ったのだ。
「タイラー。下の倉庫に剣あるよ」
鞘だけを下げた腰元の頼りなさに、思い出した。
業火の前に脆く溶け崩れた剣。高価でも、稀少でもなく、古いばかりの一物だったが、在学当時から懸命に奮ってきた、いわば相棒のようなもの。
折れるいつかは予想の範囲だったのに、跡形もなく手放すはめになろうとは。
残ったものは、掌の軽い火傷。
さすがにしんみりとくる。
が、手ぶらで修行など到底できるわけもないから。
「しばらくお借りします」
「あげる。オレ使わないから」
鋼の武力には結びつかない、華奢な手。生み出すものは絶大な魔力。
そして遠慮なく案内を乞うた倉庫で、玉蘭と一緒に呆然となったのだ。
上の部屋は生活できる空間だったのに。不要品押し込める空間は更なる混沌に支配されていた。
「気に入ったものあったら何使ってもいいよ。玉蘭も」
「あたしもですか!?」
手伝ってやれと暗に促したも同然のアルシア。目の前に広がる光景は、手のつけようがないと判っているのかもしれないが。
いつだって笑顔は無邪気そのもの。
「見つかったら上がっておいでね。朝ごはん作っといてあげるから」
有難い申し出まで残されてはと腕をまくり、タイラーは、
「俺はいいから。行って来いよ、上」
「なっ、え、どうしてよ!?」
些少の配慮とやらを示したつもりが、玉蘭は目を丸くする。
「どうって……飯作れる手合いに見えねぇだろ、あの人」
「そ、そうかしら。お一人で暮らされてるみたいだし、得意なのかもしれないじゃない。潔くお任せしましょ」
一息に言い切って、バリケードよろしく積まれた入り口の障害を跨ぎ越えた。
「向こうからいくわ」
「あ、ああ。悪りぃな」
「どういたしまして」
長い髪を結わい上げるやる気へとタイラーも続き、まずは足場の確保に取り掛かった。
どこにでもありそうな日用品から、図説で見た記憶しかない魔道具まで。実に様々な物が、手当たり次第、分別なく放り込まれている様子。埋もれていたものに感嘆するなど頻繁で、本来ここは宝の山。
「ありがとね」
中々姿を見せないお目当てに、要する時間を覚悟しつつあれば、玉蘭が不意にそんなことを言ってきた。
思わず手が止まる。
「何が」
「庇ってくれたでしょ。それと、ごめん、かな」
豪快に掘り進むことが忙しいみたいにがさごそと、玉蘭は振り返ろうとしない。
出会ってまだ一日足らず。知らない間柄だと、改めて思う。
だが同じ場所に居て、共にする目的は同じはず。
「お互い様だろ、たぶん」
「……いい度胸してるわ」
それからお互い一心不乱。
ついぞ目的を忘れてしまいがちな誘惑を振り払い、絶妙なバランス崩さないよう慎重になり、最初に厭いたのはタイラーだった。元より単純作業を苦手にする性質だ、集中力など尽き果てる。そして何よりも限界だった。
「くそ、腹減ったぜ」
この島へ着いて口に入れたのは林檎ひとつきり。たったそれだけの摂取で、心身共に膨大なカロリーを消費して丸一日だ。意識もそろそろ散漫になってくる。
「そこの魔剣士見習い。アンタの必要物資でしょ」
呆れて手を止めた玉蘭も同じ条件のはずだが、溌剌とまではいかなくても、まだまだ余力があるように見える。
それが伝わったのだろう、大きな息を吐き、
「四大魔法と違って、黒法はすっごく燃費いいの」
「何つったか、あの使い魔、魔力食うんじゃねぇの?」
「青呼、よ。覚えといて。それに使い魔でもないわ」
思わぬ強い声に、侘びが口をつく。
が、すぐに表情を和らげた玉蘭は、胸元に手を当て、
「憑き物って判る?」
「……召喚じゃないって意味か」
「そ。契約行為はあるけれど、魔法陣も魔力も必要ない。だから使役で消費するものもゼロってわけ」
「でも影響は受けんだろ?」
「受けないわよ」
「フィールドの中で発動しなかったじゃねぇか」
「ああ、あれは……例外?」
戸惑い気味に足元へ落ちた視線。その先に、今この瞬間も居るのだろう。
「マスターは原理をご存知だわ。流布してる知識だけじゃない、もっと深く……、どうしてかしら」
その存在だけは教授された邪法のこと。魔法の源泉とされながら、正式名称でなかったことすら知らなかったタイラーだ。眉根を寄せる玉蘭の理由など、推し量りもできない。
「聞いてみりゃいいだろ?」
「勿論よ。だからさっさと見つけちゃってよね」
「----でもな。これだぜ」
進捗状況すら定かではない部屋の何処に埋もれているのか。
せめて見当さえ付けばという落胆が、ふと引き上げてきたのは故郷の情景。何だと思う間もなく、情けなくなってきた。
「魔法使いだったよな、俺ら」
「あ、」
管理という言葉を知らないのでは思いたくなるほど、村人達は頻繁に家畜の逃走を許していた。なのに、連れ戻すことを早々に諦めるのは、その度に呼びつけられ、衆人環視で失せ物探索行うタイラーの腕を見込まれてこそ。お陰で今や不本意ながらも得意分野である。
問題なのは魔具。捨て置かれているに等しいとはいえ、下手な刺激を与えたくない。
タイラーが計るようにぐるりを見回すと、玉蘭はさっさと退去してしまう。何が起こるか判らない品々を相手に、魔力を垂れ流すとでも思ったらしい。
「手伝うんじゃなかったのかよ」
「何かあったら全力でカバーしてあげるわ」
「んなことしねぇって」
「探すんでしょ?」
「ダウジングでな」
「できるんだ」
「うっせぇ必要上だ。邪魔すんなよ」
と、戸口から半身乗り出した玉蘭をぶっきらぼうに下がらせ、タイラーは両手をそっと床に押し当てた。目を閉じ、軽く息を整える。
本音を言えば捜索対象の具体的心象が欲しかった。一度も目にしたことのないものを探し当てる精度など、さすがにまだまだ備わっていない。だが今回は幸いにして「剣」という、タイラー自身が身近にしてきたものだ。
それに、自身の魔力を媒介してくれるだろう道具は、捜索範囲の中にぎっしりとある。媒介物を設置する事前準備に一日近く費やしてしまう故郷とは、雲泥の状況。
失敗するとすれば、手に負えない道具が埋まっていた時くらい。
積まれた品物の圧迫感に騙されていたのか、魔力が倉庫全体に行き渡ったと感じるまで、それほどの時間はかからなかった。甚だしい邪魔にも遭わずに済んだ。
これなら大丈夫だ、と。
魔力に伝わるイメージを読み取って行く。
まず判ったことは、輪郭さえも掴めないものが多数あること。それは、タイラーの力を阻むのではなく、受け入れてさえもくれない上級アイテムである証拠。もしもその中に、アルシア曰くの「剣」があったとしても無縁でしかない。タイラーの所有物になること拒むから、触れる魔力を遠ざけてしまうのだ。
だが、焦ってはならない。
ゆっくりと、静かに。
地中に眠る水脈を探し当てる為の術だったという、ダウジングの基本は、静寂。波紋描かぬ無風の水面。曇りなきその表を、鏡のように研ぎ澄まして。
待つのはただ、ぽたりと落ちる一滴だけ。
むず痒いほどの沈黙。
一切の音が消えたわけでもないのに、耳が詰まったように感じてしまう。
ひとつ、ふたつ、と。玉蘭が静かな呼吸を数え始めた、丁度、九つ目だった。
はっとして顔を上げたタイラーは、己の真正面、すなわち手探りならば一番最後まで残されていたはずの山を凝視した。
「ね、マズくない?」
小声で注意してくれなくても判っている。
今やガタガタと騒々しく揺れ動く、そこ。まずは小さな傾れが起こり、タイラーが腰を上げ、身を翻したところへ、飛んで来た。
「ちょっ……わあああああっぶねぇ!」
あられもない叫びは条件反射。逃げる足許、狙い澄ましたかのように花崗岩の床へザックリと突き刺さった、それ。物の見事に蹴つまずいたタイラーは、もんどりうって魔道具の山へ突っ込んでしまったのだ。
「何やってるのよ! 生きてる!?」
「お、おう……」
ひどく耳障りな崩壊音と少しの埃の中へと這い出たタイラーは、恨みがましくこの原因に向けた目を、見開いてしまっていた。
薄暗くもなかったけれど、全面の明るさとも言い難い地下の倉庫。目映いものは、これまで何ひとつ目にしていない。
だからだろう、目を細めてしまったのは。
登場とは打って変わった慎ましい、淡いグリーンの光に包まれた、剥き身の鋼。両刃を持ったそれはまさしく----剣。
穏やかな光の明滅がタイラーを誘い、そっと柄に指が触れた途端、消えた。
「まさか……」
そう呟き様に、岩へ食い込んだ剣を軽々と抜き放てば、刀身の根元へ刻み込まれていたらしい呪文が浮き上がってきた。
玉蘭の感嘆は確信。
「マジックソードっ!?」
「おお、ほんとにあったんだ、それ」
楽しげな物言いの厚顔さ。
唖然と振り返ってはみても、アルシアはそれぞれの視線の意味にまるで気付いていないかのように。
「ご飯できたよ」
どうにも空気を読まないらしい少年に、タイラーと玉蘭は唯々と頷かざるをえなかった。
成せば成るかもしれないぼくら First-Stage 第1話
20071119
image by 七ツ森