成せば成るかもしれないぼくら
First-Stage  第3話

 それは大きな鳥の姿をしていた。
 天頂近くからの陽射しにも負けない輝く羽を持ち、琥珀の嘴に一様の巻紙を携えて。



 玉蘭と2人、途切れた会話に期せずして食事の後片付けを始めようとした時だった。
 アルシアの座る窓辺へと、ふわっと広がる光のように、見目麗しいお使いが降りてきたのだ。羽ばたきを聞かなかった驚きは無論、タイラーと玉蘭だけ。
 受け取ってくれとばかりに、大きな体がちょんと近寄る様が愛らしい。
 だが、アルシアは頬杖ついたまま。知らぬ先からの使いを不審に思ってのこと----でもないらしい。少し口を尖らせ、眼を眇め、それは明らかに不貞腐れた姿。
 あまりにも、らしい感じがして、タイラーは思わず聞いてしまっていた。

「嫌な先なんですか」
「そうだよ! よく判ったねー」

 振り返った顔が露骨に喜んでいる。
 これは受け取らない口実を与えてしまったかと、玉蘭に続きを任せようとしたのだが、皿を抱えて素気無く行ってしまった。

「やっぱり滲み出るんだろうな、あの嫌味たらたら」
「余計なこと言いました、すんません、受け取ってやってください」
「じゃあタイラーが受け取ればいい」
「無茶言わんでくださいって。重要な書状だったらどうするんですか」
「あーそれはない。ないない」

 勢い良く振られる手が怪しげで、苦い笑いを浮かべて見せれば、胸をそびやかして言い足した。

「火急とか、至急とか、そっち系なら本人来るし」
「で、大丈夫なんですか」
「弟子じゃないか。オレの代理ってことで。ほらお前、あっち行け」

 首を傾けながらも、お使いに拒否権はないようだ。アルシアに促されるまま、代理の手元にようやく書状を落とすと、じっと顔を覗き込んでくる。預け先を確認しているのかと好きにさせれば、納得したかのように首を振り、ほどなくして窓の外へと飛び去って行く。音のないその羽ばたきを追ってタイラーが空を見上げた時はもう、輝く翼は見えなくなっていた。

「これ、どうします」

 紅い太紐が幾重にも巻かれた書状は羊皮紙製。随分と手触りが良く、上質なものだと判る。
 もし本当に大した用事でないのなら、それが、艶やかな蝋の封印を押した送り主の品性ということだ。少年がそっぽを向いて拒否するような相手には、とてもではないが思えない、大人の風情。

「マスター、」
「……後で見るから置いといて」

 と、仕方がなさそうに動いた指の先には、本の山がひとつ。潔癖な印象受けるわりの意外さも愛嬌だろうと、書状を乗せかけ、嘆息が勝手に零れ出た。

「俺の気のせいですかね。同じような未開封のものが、ここに沢山積んであるのは……」
「それはもう終わった。開けなくても判る時ってあるんだよ」

 真顔の物言いに反論できるほど、アルシアの何を知っているわけでもないタイラーは、未熟なただの魔法使い見習い。迷い、躊躇い、しかしこれ以上のゴリ押しは、階下より聞こえた派手な物音に断念するしかなかった。

「どうしたんだろ」

 さすがにアルシアも腰を上げた、その音。例えば、そう、陶器のようなものが割れた時に聞けるあれじゃないのかと、嫌な予感に戸口へ向かったタイラー。続けざまの破砕音と絶叫に、全身から力が抜けた。
 それは玉蘭の声で。行かずとも判る状況説明してくれていた。

「タイラー、早く来てよっ! 水汲みポンプ壊しちゃった!!」










 風止むことのない街だという。
 街路の木々はいつも静かに葉を揺らし、強い日差しに照る街は、その緑の木陰に涼を得る。
 熱気がこもらないように造られた街だからね、と慣れた足取りのアルシアとは違い、昨日今日の来訪者でしかないタイラーは、外界の眩しさだけで汗滲み出てしまいそうだった。

「此方は長いんですか」
「4……5年かな」

 そのわりに、直射に晒されるアルシアの肌は白い。行き交う街人の、適度に焼けたそれとはまるで違っている。崖上の邸宅にまさか四六時中篭っているのではと、要らぬ心配したくなるくらいに、白いのだ。そして華奢。しかし熱風ものともせずに歩く姿はまさに元気一杯で、タイラーの後ろをとぼとぼと着いて来るだけの玉蘭に分けてやりたいくらいだった。

「ほんと気にしなくていいから」

 と、アルシアは少し声を張り上げた。
 無理もない。
 居並ぶ茅葺の屋根、天幕、人の頭にごった返しのバザーはまだ少し先だというのに、その活況は離れた路地にまで響くように伝わってきていた。
 観光名所と聞き及んではいたコシカ島。それはこの港の山向こうだと教えられても、あまり実感の沸かないこの賑わい。さして大きな島ではなく、主産業も魚介類に畜産と、驚くほど振るうものはないらしいが、十分ではないのだろうか。タイラーの生まれ育った土地に比べれば。

「タイラーがちゃんと直してくれたじゃん。な?」
「ごめんなさい。あたし本気で不器用だわ……」

 人出の多さに思い馳せていたタイラーをちろりと見遣り、玉蘭はまた、ごめんなさいとしょぼくれる。
 気にするなと何度言ってやっても、さすがに堪えるものはあるのだろう。

 助け求める階下の声に、慌てて釜戸へ降りて行ったタイラーを迎えたのは、豪快に噴き出す冷たい水柱。
 ただ3人分の皿を洗うだけで済むはずが、何故、はねる飛沫の心地よい始末になっているのか。水流の強さに難儀しながら、外れたポンプを付け直して訊ねてみれば、水が出ないので思い切りレバーを引き上げた、とのこと。しかしアルシア宅の水汲みポンプは旧型の押し下げ式。
 粉々になった皿を水浸しの床から拾い集めていた玉蘭は、呆然とするタイラーの様子で気付かされた勘違いの大きさに、青くなって項垂れ、今に至るのだ。

「大丈夫、大丈夫。うちに居る間は、タイラーが何とかしてくれるって」

 からからと笑うGM。一緒に降りてくれたはいいが、屋内噴水を目にするや、気持ちが良いとのたまい役に立たなかった。水を止める術くらいあったはずなのにと思うが、忘れていたのはタイラー自身。

「次は手伝ってくださいよ」
「気が向いたらね」

 乾くから放っておけばの命令以下、処分せざるおえなかった食器や食材を買い足すために、3人揃って街へ下りて来た。ましてタイラーと玉蘭には、当座の着替えが必要だった。日用品一式は少なからず持参してはいたのだが、思いの外のこの暑さ、手持ちの衣服では一日だって過せそうにないことは、到着初日で身に染みていた。
 ついでに街を案内すると言われた気もするが、アルシアはこうしてバザーへ直行。今も、鮮度が命と売り叩く声に関心を示すから。

「そっちは最後にしませんか。皿も。さすがに重くなっちまうんで」
「じゃあ服屋さんか。行くよ、玉蘭」
「あの、」
「うんうん、ほんとにもう良いんだって。失敗は誰にでもあるよね、そこから何を学べるかが大事でしょ」

 ね? と笑みまで見せて、玉蘭の腕を引っ張っていくアルシア。その背中の意気揚々さ、器用に人ごみすり抜ける彼らを四苦八苦して追いかけるうちに判ってきた。
 充満する甘さ。熟れた香り。目に鮮やかな----果物たち。服屋の影も形もないそこは、紛れもなく青果市。
 そしてアルシアが足を止めたのは、記念すべき上陸一口目と称しながら術付林檎を渡された、あの屋台の前で。今日もまた転げ落ちそうなほどの紅い山。違いはその奥の笑顔だけ。

「よっアル、」

 本来の店主だろう男は気取りない。

「まさかもう全部食っちまったじゃねぇだろうな」
「買い忘れがあったんだ」
「おいおい……」
「まだあるって。一個貰っていい?」

 気軽にそう応じて林檎の山へ手を伸ばす少年と、呆れ顔の男。

「一個?」
「ん、三個」
「はいはい、持ってけ。で、そこのべっぴんさん誰だい」

 アルシアから林檎を渡された玉蘭は、ややあって顔を上げ、耳に馴染みのない言葉が飛び交う左右を見回し、

「あたし?」
「見ない顔だね、アルの姉ちゃん……じゃないわな」
「こっちでしばらく研究するっていうからさ、家貸してあげるんだ」
「なんだ薬屋か」
「その見習いさん」

 こっちの人も、とついでに振られ、理由も判らず頭を下げるタイラー。いまひとつ、客と店主だけでもなさそうな親しい会話を飲み込めないのは玉蘭も同じだった。

「そりゃ結構なこった。お前調合の腕だけはいいからな」
「ひでっ。もう薬分けてやんないぞ」
「今までの林檎代金を徴収するまでよ」
「サイアクだ、おじさん」

 頬を膨らませても抜け目なく、更にもうひとつ林檎を鷲掴んだアルシアは、またなーと陽気に手を振り人ごみの中に紛れて行って。
 派手な舌打ちを見舞いながらも店主は磊落な笑みのままだった。

「ったく、アルはしょうがねぇな……、で、お2人さん。行っちまうぜ、林檎小僧」

 と顎をしゃくられてあたふたと回れ右の背には、またどうぞ、と何処かで聞いた台詞。
 昼過ぎの今、品物を見て回っている人の波はのんびりと、向かう方向に一定性が無くて。却って歩き辛くなっている中で見つけ出したアルシアは、混雑を少し離れた木陰にて林檎を齧っていた。

「マスターっ!」
「はい、ストップ。読みの浅いヤツだね、タイラーは。いいか、」

 バザーと自分を交互に示しつつ、

「ちょこっと魔法の使える薬屋もどき。名前はアル」
「……それが、何か」
「ああ、もう頭固いな。判るよね? 玉蘭、」
「本性を明かされてはいらっしゃらない、と」
「成り行きなんだけどさ、その方が都合良ったから。君らも倣って欲しいんだ」
「承知しました」
「敬語も禁止に決まってるだろ。当然マスターや先生とかもダメ」

 優等生然と応じた玉蘭も、その指示にはさすがに困惑した様子。どうするのと言わんばかりに、タイラーを見返った。

「----アルさん」
「もう一言」
「……アルくん」
「オレがやりにくんだって」

 弟子の妥協をじれったそうに退けて、星の数以上に存在する魔法使いの一頂点は言い切った。

「以降、アルシアと呼ぶように。街ではアル。それ以外で呼んだら返事しないからな」

 あまりに軽々しい提案を、言葉通り素直に受けるべきか、どうか。苦情も聞かずにバザーへと戻ってしまったアルシアを追い、次こそは服屋だ、魚が美味そうだったと振り回されているうちに、少年の意図はすんなりと飲み込め、納得してしまった。
 長の住いあっての馴染みなのだろうが、顔を出す先々の露天で、アルシアは愛嬌たっぷりの少年として振る舞い、受け入れられていたのだ。店仕舞いのあまり物だからと生鮮品を押し付けれ、茶飲み話に加えられ、笑顔絶やさず付き合っていて。話題に上る薬も確かに評判は良いようで、物々交換という名の注文を幾つも受けた。

「今日は大収穫だ。すごいなあ、旅人効果は」

 タイラーがその大半を引き受けても荷物はまだ大量で。さらに玉蘭で間に合わなかった分を両手に下げるアルシアは、それが新顔のせいだと思っているらしい。

「判る気はするけどな」
「ちょっと複雑よ」

 人ごみ喧騒、そして暑さへの耐性まだまだな2人は苦さを浮かべ合い、ドア押し開けるアルシアに続く。
 
 屋内というだけで一気に体感気温が下がっていった。肌はようやく火照りだし、雑多な気配に浸っていた分だけ静けさが染みる。疲労がいきなりやってきたように感じて荷物を下ろしたタイラーに、布製品担当のアルシアは容赦なし。

「置いてっちゃうよ」

 もう一枚のドアに手をかけようとしているから。
 タイラーは荷物をひっ抱えて2人に追いすがる。

 此処はまだ街の中、大通りから路地一本外れただけの、アルシアの別邸だ。戻るべき白亜の邸宅まではまだ遠く、本当に置いていかれては堪ったものではない。玉蘭が空いた手に小さな包みを引き受けてくれる間に、アルシアの手がドアに触れた。
 真鍮のノブではなく、表面へ。
 と、ドアは勝手に押し開き----「あ、マズい」と呟いた。
 何か不具合でも起きたかと思えど、アルシアはそれっきりでドアを潜った。玉蘭が続き、タイラーも。
 街の家から、崖上の邸宅へ。
 魔法によって繋がれた専用通路に物理的な距離はないらしく、一歩踏み出すだけで、そこはもう石灰の白壁眩しい海上の家。

「やっぱり正規ルートが在ったのか」

 街と接する道はここだと、リビング脇の廊下の奥、黒ずんだ扉を教えられ、タイラーはそう嘆いたのだが。呪文唱えるでもなく扉に触れるだけの少年に、通さなかったけどね、と軽くいなされてしまったのだった。

 消費が追いつきそうにない食料を運び入れた釜戸は、留守にした数時間ですっかり乾いたらしい。ようやく安心したか、真新しい皿の洗浄をきっぱり拒絶した玉蘭に穀類の収納を任せ、咽喉湿しでも作ろうとしたところで、その視線に気がついた。

「何か飲みますか?」
「うん」

 部屋へ上がったと思っていたアルシアは、いつの間にか壁際に身を寄せていて。手伝うでもなく、魚食べたいな、などと呟いている。

「晩の催促ですか」
「黄色いやつもらったじゃん」
「あんなの捌けっかな……」
「見ててあげるし」
「あくまでも、それですか」
「焼けばいいじゃない?」
「なら、頼むわ」
「ごめんなさい!」

「いつまでそうやって隠れているおつもりですか」

 それはあまりにも唐突だった。
 玉蘭は芋の籠を蹴り倒し、今度はタイラーが皿を落としかけ、アルシアは----逃げた。

 が、あえなく失敗。
 伸びてきた手に襟を捕らえられ、もがき、意気消沈。
 あっさりと大人しくなった少年の後ろから姿を現したのは、青い髪をした腕の主と、もう一人。

「お久しぶりですわね。アルシア様」

 ドレスの裾をつまみあげての優雅な一礼。
 気配などまるで感じもしなかったのに。アルシアを挟み、2人のその男女は現実の存在として戸口を塞ぐ位置に立っていた。

「うん、おひさしぶりなんだからさ、リリー、これ何とかして」

 掴まれたままの襟をどうにもできないのか、アルシアは頭上を指差して哀願する。
 リリーと呼ばれた妙齢の女性は、まあ、と労しげな声を上げ、拘束の張本人に目を向けた。

「離して差し上げて?」
「ではアルシア様、これを」

 青年は冷厳と、一様の羊皮紙を突きつける。裏面には辰砂の蝋印の跡。
 だからあの時に確かめておけば良かったのにと、同情の溜め息はタイラーは胸の裡のみ。
 アルシアを眺め下ろす眼差しは、いかな口添えも無用と判らせる冷やかさ。

「うーん……」
「代わって読み上げさせて頂きますが?」
「……いい。もうわかった。やる」
「ご快諾感謝致します」

 それだけだった。
 解放と引き換えに書状を握らされ。アルシアは情けない顔。そのくせ小さく零す辺りが、今朝タイラーに見せた拒絶の名残らしい。

「オレだって忙しいのに……」
「何か?」
「……ね、リリー。すぐ行かなきゃダメかな?」

 天鵝絨の裾を引っ張られ、リリーがわずかに身を屈めたものの、口を開いたのは青年だ。

「準備に充てるべき時間を無駄に浪費なさったのはご自身ではありませんか」
「だって、」
「アルシア様」

 決着は一言。
 少年は苦情を噤み、黙ってでしゃばらずに成り行きを見守る以外に余地のなかったタイラー達を振り返り、

「じゃあ行こっか、お仕事」
「……はっ!?」
「だって、ほら」

 差し出された羊皮紙には、何と----白紙。
 困った顔するアルシアを見返れば、また。

「アルシア様への公式な要請書だ、アンダークラス如きの力では読めるわけないだろう。それよりも、さっさと支度をしなさい」

 ちらりとだけ向けられた、灰青の眼。凄まれたのでもないはずが、言葉が素直に出て来ない。

「いや、何つうか……、事情がよく判らないんスけど」
「御支度が整い次第、現地へ向かえと言っているんだ」
「あたし達も、ってことですよね」
「この御方を一人でやらせて事が成るとでも思っているのか。最も、」

 さすがに表情を暗くしたGMになど頓着せず、青年はどこまでも威圧的。

「君達には何も期待していない。安心していい。足手纏いにならない程度のお世話を任せたいだけだ」
「ちょっ……と、何よ、それ」
「愚図愚図するな」

 あまりの態度は謂れなく、さすがに怒りが沸いてきたというのに。矛先向けるべき青年は、

「アルシア様はこちらへ」
「お支度のお手伝い致しますわ」

 足を踏ん張ろうとした少年の背中に手を添えて、リリーと共の強制措置。
 さしもの紫の瞳に諦めが浮かび、成す術もないことを知らされて。

 玉蘭と2人、これから一体何が起こるのかと、不安に立ち尽くしてしまっていた。







成せば成るかもしれないぼくら First-Stage 第3話
20071207

image by 七ツ森

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