成せば成るかもしれないぼくら
First-Stage  第4話 [3]

 蒸し暑い。
 深い森特有の湿度と、雨季の風。それら全ての水気を不快指数にしてもまだ足りないと、熱が迫る。
 その中を、じりじり、じりじり、尺取虫の速度で匍匐前進するなど正気の沙汰とは思えない。
 しかもこの行軍、GM曰くの「急がなくっちゃ」の結果である。他にもっとマシな案が英知に含まれていなかったのかと、ただ恨めしい。

「脱いじまった方が幾らか速くなる気がする」
「丸焦げになりたいの。いい加減諦めなさいよ」

 うんざりと玉蘭に小声を放たれ、目を向けてみた右の上腕部。コートの生地に鉤爪立てた仔サラマンダーが、どうにもならずにそのままになっていた。
 移動の妨げになりかねないと、アルシアが引き剥がしを試みてくれたのだが。やたらと火を吐き抵抗し、吹き上げる熱にタイラー自身が根を上げた。
 それ以降は大人しく、模様のように張り付いているだけ。側に寄る玉蘭を威嚇するでもなく、さすがに疲労したのか、目を閉じてしまった。
 一体どうしたことなのか。
 困惑に眺めた、小さい火の精。覗く牙先も、何やら案外可愛いなどと思えてきたりもしたが。
 うずくまる賢犬の呼吸が安らかになるまで、ずっと撫でていたアルシアは、もう大丈夫、と腰を上げると、

「一刻も早くサラマンダーの縄張りまでいかなきゃ、孵化に気付いた大人達がまたやってくるよ」
「ソイツ、置いて行くんですか」
「もう十分役に立ってくれたじゃん。シールドは残してくし、心配ないって」
「卵床だったのね……」

 玉蘭がそう呟けば、アルシアは断固と首を振り、

「何のために、ここまで全部君らに任せたと思ってるんだ」
「……助かるんですか」
「当り前だ。このワンコは村のおまもりなんだぞ」
「おまもり?」

 と、弟子が疑問を口にしようと、足元へサークルを出現させ、いきなりだった。

「入って。行くよ」
「……巣へ、ですか」
「オレが連れて行ってあげる、急がなくっちゃいけないからね」

 そう急かされて踏み込んだ、アルシアのサークル。覚えの無い柔らかい足裏に気を取られた瞬間、耳の奥が張った。移動を始めたとは判ったものの、四方を囲む真っ白な力に、外界が見通せない。
 先刻は盛大な魔法陣を使ってみせながら、難しいとされる空間移動に呪文を唱えた素振りがなかった。あるいは飛翔系なのだろうかと、興味は尽きなかったのに。
 頭上に視線を移した時、足裏にはもう硬い土の感触が復活してしまっていた。

「ここでバレちゃあ台無しだからな。身を低くして進むんだよ」

 鬱蒼と茂る枝葉の奥に、まるで夕日を直射したように赤々とした一角が見えている。清涼であるべき森林は炎の香り。
 目的地・サラマンダーの巣まで、目視でもまだかなりある。これ以上近づけば気付かれるとのGMの断言で、仕方の無いあと少し、に、気を入れようとした。

「もっと低くなって。フレイアの通り道、観えてないのか」

 アルシアの指が示すのは、サラマンダーの吐く炎から生まれる妖精の探索範囲。丁度、タイラーの膝辺りの高さ。犬の背丈ほど。
 悩み、迷い、腕のチビ火蜥蜴の身じろぎで意を決した。

「コイツ届けるだけなら、俺一人の方が早いスよね。こう合図したら助けてください」

 念押しに力強い頷きをもらい、タイラーが望んだ単独行動。絶えることない熱射に色素の落ちた藪を出て、すぐのことだった。
 腹這いで地に触れる部分から、じわじわと、熱がこみ上げてくるのだ。
 縄張りを示す地熱とは判ったが、マジックアイテムを身に着けている以上は平気だろうと、また少し進んでみた。
 が、慌てて救援の手振りをして引っ張り戻される羽目になっていた。

「どうしたの!?」
「無理、あれは無理。地面触れたもんじゃねぇ」
「コート効いてないってこと?」
「マジックアイテムだよ、それ」

 と、アルシア。
 見せてと言われて、上着を捲り上げた腹部も、直接触れた掌も、肌は真赤にたるみ、酷い箇所では水脹れにさえなっていた。

「タイラーの魔力レベルと効果は比例する。だろ?」
「なら、どうしますか。コイツ起こして、戻らせますか」
「玉蘭と一緒なら大丈夫じゃないかな」
「あっあたしが!? どうして、」
「君ら、魔力の波長合ってなかったっけ」
「そ、それは偶々かもしれませんよ?」
「タイラーは集中力の問題だね。そこんとこ、玉蘭サポートしてみよっか」

 アルシアの笑みとは、有無を言わせぬ命令に他ならなくて。
 口をあんぐり開けた後、肩を落とした玉蘭は、行きます、と呟いた。
 それからの指導は手早いもの。コートと限定された箇所だけでなく、マジックアイテムとは本来身に着けた総体をカバーする。タイラーが部分的な火傷を負ったのは、アイテムに対する意識が散漫だったから、らしい。そこを、集中という精神力で上回る玉蘭が支えれば良いのだ、と。
 そして具体的な方法とは、「コートのどこかに触ってればいいよ」であった。
 一抹以上の不安が残ったものの、更に無くなってきた猶予。小さいサラマンダーは時折欠伸をし、タイラー達をひやひやさせた。

「寝汚いよな、このチビ。これだけ近くに同類の気配があれば、普通は目覚めるもんだろ」
「誰かさんが強制孵化させちゃったからね。まだ覚醒に至ってないんだよ」
「……で、急げと」
「あのね。オレの言うこと、何だかちょっと疑ったりしてないか」
「滅相もないです。----じゃ、再チャレンジ行ってきます」

 真顔でコートの裾を掴んでいる玉蘭に頷き、揃って腹這いになり、進む。藪を抜け、今しがたタイラーが引き摺られた跡を這い、手をかけるわずかな凹凸に、熱さはまるで感じられなかった。

「スゴいよな」
「青呼嗾けるわよ。さっさと進んで」

 片腕一本で地面を這い進む玉蘭も辛いだろうが、タイラーは半ば圧し掛かっている彼女ごと、着実な前進を強いられているのだ。腕の筋肉はもう攣りそうになっている。しかし、一人でこのミッションをこなせないタイラーだ。背中に乗り上げてくれてもいいとさえ、思う。筋力体力にもっともっと自信があれば、だが。

「背中掴んでるのが楽だろ。引き摺っていくし」
「擦り傷だらけになっちゃうわ……」

 と言いながらも、移動の邪魔にならない左肩に手を伸ばす妥協をしてくれた。
 しかし、厳しいものは厳しい姿勢。ようやく半分進んだところで唸り始めた。

「別の方法あるように思わない?」
「まあ、な」
「行き当たりばったりな気がするのよね、アルくんって」
「まだ子供だしな。初めての弟子取りだっつってなかったか」
「にしても。理路整然としたものを感じないわ。“光の導師”なんて言われてるんだし、もっとこう……判る?」

 それは確かに、タイラーも薄々と思ってはいたことだ。
 さすがと敬服する炯眼が、あまりにも気紛れすぎて。GMに付随するべきあらゆるものを、実は欠いているのではないかと、勝手に心配したくなってくる。今こうして弟子2人の珍妙な行進を、安全圏から一人眺めているのが本来の姿なのかどうかも、甚だしい疑問だった。
 稀代の天才と噂に聞いていた最年少GM。その実態がただの少年では、公の場に姿見せない謎ではなく、見せることのできない実情になってしまう。
 しかしその門下に入ってまだ三日と経っていない現状では、気紛らせの悪態も早々に尽きてしまった。後は目的まで黙々と、タイラーの行進に合わせるだけの時間。

 やがて熱は一段と重みを増して、領域の一番奥に到達したことが知れた。
 恐る恐る、そして逸る気持ちを抑えつつ、大地に開いた穴の淵に手をかけ覗き込んでみた、サラマンダーの巣。
 こんな機会でもなければ近づくことすらなかっただろう光景、一瞥で冷えた。

「怖。」

 玉蘭の見事なまでの呟きに、ああ、とタイラーも零した。
 村を襲撃した一群に感謝した。あの程度で良かったと、本気で思った。この眼下に這い回る群れの全てが押し寄せて来たとなれば、おそらくタイラーや玉蘭の出番など、否、それ以前に今件に同行などさせてもらえなかったはずだ。
 わずかの目視でも、ざっと三桁。通常大人ほどの大きさが十分な成体とされるサラマンダーだが、奥も深そうな巣を闊歩する半数近くが優にその倍のサイズがあるように見える。

「本気でヤバい」

 ぐっと、コートの裾を握り締めてきた玉蘭。伝わってくるその感情。

「……降りれそうなトコ、探さなきゃな」

 そろりとまた首を伸ばせば、思わぬ力で引き戻された。

「何考えてるのっ、絶対に無理だわ」
「投げ落とすってわけにゃいかねぇだろ。第一、気付かれる前に何とかした方が良くないか」
「……動けないから」
「----そういうことか」

 気の強い印象が先行してても、玉蘭は、タイラーとは根本から違う生き物。コートで隠しても、わずかに震える足は正直だ。

「やっぱ丸焼け覚悟だな」
「アンタの度胸は凄いわ。だから戻りましょう」

 腕だけで来た方向へと引っ張ろうとする気持ちは判るが、ここまで来れたことは正直、惜しくもあって。
 どう説得すべきか、一度引き返すか。葛藤がもたげた時だった。

「ちょっと時間かかっちゃった。ごめんなー」

 と、響いて来たアルシアの声。
 頭の中へ、直接。
 玉蘭にも伝わっているらしく、揃って見透かした後方の藪。紅のオーラに照らされる中、頼りないほどわずかに漏れる淡い光。

「下は睡眠状態にしてあるんだけど、」

 そう告げられ、顔を出してみた穴の淵。見える恐怖に何の変化があるというのか。岩影の向こう、ちらちらと炎が噴き上がり、いっこうに消えない。

「そうもたないから。ほら早く」

 せっつかれ、黒瞳と見合い、ひとつ気合を入れて淵から身を躍らせたタイラーの、その傍らへ滑り降りてくるのは何故か玉蘭で。

「腰抜かしてたんじゃねぇのかよ!」
「つい、よ! つられたの!」

 勢い余って飛び込んだ表情の強張りも、小石蹴散らしつつ到着した穴の底、一目散に隠れた尖岩の影からの様子に緩む。
 サラマンダーは浅い睡眠の中にいるらしい。侵入者に気付いて鼻をひくつかせるもの、垂れていた頭を巡らすものもあるが、酷く億劫そうで鈍い動きはまどろみのそれ。あまつタイラーの腕から、仔サラマンダーまで剥がれ落ちてくる。慌てて受け止め、ふっと動揺が沸いてきた。
 一帯全て同じ個体。判別材料など、タイラーには何もない。

「そこらの巣でいいんだろ?」
「……青呼が、……あっち? その向こうに同じ気配を見つけたって」

 言い様に走り出す足元を、緑の触手がふらふらと先導する。
 うすっらと起きているらしい巨体を忍び足でやり過ごし、本能で感知する気配に吐かれた火を、必死に、無言でかわす恐怖。体丸めた砂地の一匹に辿り着くまでに、タイラーは元より玉蘭もまた軽い火傷をいくつも作り、しらず殺していた息の苦しさに喘いだ。
 ゆうらりと太い尾を揺らすは、母か、父か。さすがに間近にまでは行けず、寝床の端へそっと小さな体を置いてやれば、仔は不愉快そうに寝返り、瞼を震わせ、睛を開けた。
 声は堪えた。走れ、と玉蘭の背を押すこともできた。
 そして、身を翻そうとしたタイラー自身の足元が疎かになった。
 踵が何に引っかかったのかなど、言われなくても、確認しなくても、硬質な感覚で判ろうものなのに。チクリときた小さな痛みを見遣り、後悔した。
 だから、何故、そうなるのか。今度は足首にへばり付こうとしていたチビ火蜥蜴、タイラーと目が合えば、あろうことか最大音量で鳴いてくれて。

 あちらこちらで虹彩の無い睛がぎょろりと剥かれ、火を纏った巨体が起き上がり、見えるくらいの殺気が押し寄せてくる。
 立ち上がろうと、岩盤に付いた手が触れた塊を拾い上げのは、無意識。タイラーを呼ばわる叫びで、石塊ひとつ投げる無駄に気が付いた。

「こっんのぉ……バカトカゲ!! 送り届けに来てやったんじゃねぇか!!!」

 涙混じりの怒声が効いたか、チビがびっくりしたように爪を引いた瞬間、後をも見ずに走り出す。
 吼える牙を飛び越え、振り下ろされる尾を掻い潜り、駆け戻って来た玉蘭が差し伸べてくれる手に、後一歩、だった。

「タイラー! 後ろ!!」







成せば成るかもしれないぼくら First-Stage 第4話 [3]
20080212

image by 七ツ森

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