成せば成るかもしれないぼくら
First-Stage  第4話 [4]

 蒼白な玉蘭の表情ははっきりと見た。
 けれど、足を止めたつもりなどなかった。
 振り返り、手に持ったままだった石塊を突き出そうとしたことも。
 何をしようとしたのか。
 駆ける勢いを殺せずに結局はバランスを崩し、流れる視界、砕け散っていく炎の意味など、タイラーには無縁の状況だった。
 飛翔(と)んだ、と意識するだけ。
 身体の浮いた感覚に神経が追いつく間もなく、へし折った枯れ枝をさらに踏み潰しながら藪の中に立っていて。近距離にあるアメジストの瞳をぼんやり見返せば、

「こら。そこ邪魔だって」

 と、押し退けられた。
 狭い空間で器用に移動するアルシア。
 やっとのことで戻った自意識の目の前で、すっと、サラマンダーの巣の方向に掌を向け、振り下ろす。
 一陣の風が走り、舞い上がる。
 劇的な魔法を期待したこの場面、その効果を拝もうと近寄れば、襟首を掴み戻され、また飛翔んだ。

 行きも唐突だったが、帰りは一際心の準備もなく。疲弊した心身で放り出されたに等しい着地は尻餅と、降って来た一人分の重さだった。

「ぐぇ重っ!」
「重くないわよ!!……あ、やだっごめん!」

 睨みつけた悲鳴から慌てて降りる。最後の最後で背を強打して呻くタイラーに手を貸して、玉蘭は大した怪我もないらしい。

 帰還地点はサラマンダーの最初の意思表示、村の水汲み場跡。事件の始まりと思しき場所だった。
 斑の犬は、この騒ぎでも目を覚ますこともなく、安らいだ様子で眠っている。それに、やっと、という感じの息を吐くと、アルシアが弟子2人を見返った。

「よく頑張ったね----と、言いたいとこだけど、君らドンくさいな」

 背の痛みも忘れたタイラーと、跳ねるように立ち上がった玉蘭。
 アルシアは腰に手をやり、明らかな不満顔だった。

「相手は精霊種だってちゃんと理解して臨んでたのか」
「それは……」
「特にタイラー、魔法使いの自覚ある? 剣を置いて行けって言ったのは、根性でカバーしろって意味じゃないんだぞ」

 とある所よりの使者という青年達に、支度をしろと言われてタイラーが一番に思ったのは、鞘の無いマジックソードのことだった。手に入れて半日、まだ全くのゼロの状態だが、仰いだ帯剣の許可は聞き入れられなかった。
 魔具である以上、些細な魔力にも反応する。どんな特性があるのかすら知らないものを、まして抑えなしで、何が起きるか判らない場所には持っていけない。
 剥き身を提げる方が今は危ない、という理由にはタイラーもきちんと納得した。
 その結果、知らないうちに悪い癖が出てしまったらしい。学院で、担当魔法使いの先生にも散々注意されていたことだ。呪文の唱詠を苦手にし、解読も不得手にする面を媒介物に頼りすぎている、と。

「意識の向上が認められるまで、マジックソードの携帯は許可しないからな」

 言い訳も見当たらない事実と、当然の宣告。タイラーは黙って頷くことで精一杯だった。
 その愁傷さが却って気に入らなかったのか、アルシアはもう一度大きく息を吐き、小瓶を投げて寄越した。

「それ、傷薬。魔力練り込んで塗ってごらん。続きはそれからだ」

 少しでいいから、と2本の指でこねてみせ、犬の傍らに胡坐をかいた。
 思い出したように痛む身体より、じっと眺めてくる紫の瞳がいたたまれない。指先に垂らした一滴を見よう見真似でこね、火傷に塗りつければ徐々に腫れが引き、赤みは薄れ、健常な皮膚を取り戻すという驚きに接しても、ありがとうございます、としか出てこない。
 一種の秘薬なのだろうか。タイラーと玉蘭がそれぞれに傷を癒した後も、容量が減ったようにさえ見えなかった。

「よく火傷するよな」

 ぱちんと指を鳴らし、小瓶を消し去ったアルシアは、

「どうしてか、判ってる?」
「腕が足りないからだと思ってますが……」
「結果論だろ。オレが聞いてるのは、ここのこと」

 握った拳で自分の胸を叩き、玉蘭も考えて、と言いながらも紫の瞳はタイラーに据えられたまま。

「決定的なミスをしたよね?」
「……決定的な」
「孵化させてしまったこと、ですか」
「このワンコがオレに懐いたって信じたわけか」
「----追い払うべきじゃなかった?」
「判断ミスって言い換えようか、」

 列挙すればいつかは当たる回答に、アルシアは面倒臭そうに首を振った。

「どうして巣へ降りたの?」
「……チビを届けるためです」

 タイラーは卵の存在を見抜けなかった。マジックアイテムを使いきれなかった。そして、憑き物を持つ玉蘭の視野の広さがなければ、原因そのものさえ、アルシアに導かれて知ることになったのかもしれない。
 期待通り、或いは正解が、己の行動に果たしてあったのだろうかと思えてくる。
 村の中だけで済んでいた、今までの仕事。勝手知ったる場所で起きていたのは想定範囲の出来事だけで。つまりは失敗も、予想されたトラブルだった。

「決定的な……大きな失敗……」

 倣うように胸に手を当て、自問自答する玉蘭。
 首尾よくサラマンダーを撃退できた時も彼女との共同作業。

 もし一人だったなら何ができていたのか。

「正直俺には降りることしか頭にありませんでした」
「だから、どうして」
「……、あ。」

 間抜けな声が出た。
 それで、改めたように目を剥いた玉蘭も、タイラー自身も。
 今しがた指摘されたばかりのことを、やっと。 

「魔法使いの自覚から教えるなんて聞いてないぞ」

 三度目の溜息に、2人して小さくなるしかなくて。

「……数に圧倒されちまったというか」
「それで、急に怖くなっちゃって……」
「カッコよく出てくから、策あるんだなって思うじゃん」
「何と言うか……」
「だからオレ、わざわざ広域でかけられる催眠魔法にしたのに。降りてくわ、起こしちゃうわでさ、死んだかもって思ったし」

 深遠の魔法を選り好めるGMにすれば、さぞ理解し難い行為だっただろう。いわば敵陣ど真ん中へ降り立つなどは無策と同じはず。
 頑丈で良かったね、と呆れた笑いへ下げた頭を、タイラーは信じるだけだ。
 これから幾度も遭遇するだろうあわやの場面も、いつか自力で解決していけることを。

「そういう無茶をした……できた見返りになるのかな、コレ」

 と、口調和らげたアルシア。
 その掌に半透明な紅い石が乗っていた。純度の低い水晶と言ったほうが近いが、内に液体でも入っているのか流動する何かが確認できる。サラマンダーの巣から逃げる際にタイラーが手に取った石塊に似ているものの、あれはただの石で、まして水の流れる音が微かに聞こえてきたりもしなかった。
 しかしアルシアは、覗き込む玉蘭ではなく、タイラーへ、

「君の戦利品。これ何か、もちろん知ってるよな」
「水の石、ですよね。外に出すまでは本当にただの石なんだな……」

 サラマンダーの巣、水音のする紅い石。この材料があればさすがに答えは出る。マテリアルの暗記は在学中の必須項目だった。効用、採取条件も。

「名の由来は?」
「水をよぶと教わりました。サラマンダーの棲む土地が枯れない理由だとも」
「そうそう。むやみに討伐していい相手じゃないんだよ。判ってるじゃん。それともうひとつ、」

 タイラーの手に水の石を転がし、アルシアは、話し声が気になったらしく薄く目を開けたブチ犬の頭を撫でる。

「この子に少し与えてやってよ」
「やって……って、食うんですか、こんなもの」
「特別。ほんのちょっとでいいんだ」

 見かけ硬質な水の石だが、指先に力を込めれば飴のように溶け、簡単に千切れる。
 温度変化に敏感で、また小さく固まったそのひとつまみを鼻先へ持っていけば、犬は躊躇いもせず飲み、効果は間もなく現れた。
 柄だとばかり思っていた体毛の斑。洗い流すように薄れ、やがて消えていったのだ。
 そして、一息ごとに回復するものが伝わってくる。

「今回の事件、コイツの力が弱まってたのが原因だった、てことですか」
「一因ではあったろうね。新しくした水汲み設備、流木を使ったんだって。白く禿げた木」
「まさか……それに卵がくっついてた?」
「かもしれないね」

 3対の視線も知らぬ気に、犬はゆっくりと体を起こしていく。
 それが自然の理か、火の脅威から村を護るという役に生まれついた性なのか。
 慣らすように脚を踏み、耳から尾の先まで全身を大きく震わせ、ひとつ吠えた姿は人懐っこいただの犬。

「よしよし。おまえが一番頑張った」

 アルシアに撫でられて、また元気に振られる尾を微笑ましく思うしかない、タイラーと玉蘭。事前準備をきちんとやっていれば多少の違いはあったかもしれないと、声高に訴えてみたい気はするのだけれど。思えばコシカ上陸直後の試験も、こうして放り出されて始まった。そして同じような結果に陥った。
 やはり足りない腕と自覚、なのかもしれない。

「じゃあこれにサインして」

 と、おもむろに広げられた羊皮紙はあの要請書。
 今度はまた何かと、さすがに見返せば、そっか、と一言、アルシアは下半分を指し、

「ここにお仕事終了のサインするとね、王都に経験値が通知されるんだって。君ら登録魔導師だろ。こういう正式文書に名前あったらさ、何かと便利なんじゃないの?」
「……でもこれアルくん宛よね」
「君らがメインでやったじゃん、一応は」

 この先昇段の必要などない少年に勧められるまま、まずは玉蘭が羊皮紙に指を押し当てると、
 ぽつん、と小さな模様が刻印された。
 何かの意匠だろうが、読み取れる大きさではなくて。
 まさか現在のレベルに応じた仕組みかと、恐々と続いたタイラーの指先が刻んだものは更に判別不能のサイズだった。
 そして、アルシア。
 純粋な好奇心は、しかしあっさりと裏切られた。指が触れた途端、眩い光とともに呆気なく、要請書そのものが消失してしまったのだ。

「村長さんへの事情説明だけ……だな。帰れるよー」

 そう両手突き上げたアルシア。グローブの宝石が暮色に光る。

「あ、水石はもらってっていいからね」

 火精のマテリアルの効用か、すっかり乳白色になった体で足取り軽い犬を連れ、アルシアはさっさと村への道を歩き出す。
 消えた羊皮紙が裏付けであり、証明なのだろうと、頭では理解できるのだが。

 何かひとつでも納得して事を成せたのか。

 掌に収まる紅い結晶ひとつが初めての「仕事」の成果。
 未熟さの駄目押しと。
 自らで首を捻ってしまうこの後味。
 実感がまるで湧いてこない。

 大層な懐きようの犬を従える紫黒のマントを眺め、タイラーにできたのは正直な嘆息だけだった。







成せば成るかもしれないぼくら First-Stage 第4話 [4]
20080410

image by 七ツ森

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