Second-Stage 第1話
玉蘭は円陣の端へ仁王立ち、こなれた魔道書の表紙に掌を打ちつける。
そして、びしりっと足元を指差して、
「どうしてそんな単純なものになるのよ」
「小難しい解釈ばっかしやがって。何なんだよコレは」
不満顔に言い返してやったタイラーもまた、胡坐かく膝下を睨みつけた。
そこにあるのは魔法陣。
綺麗な二分割の円陣はものの見事に非対称。簡潔な符号と聖文字で構成された手前側はタイラーで、象徴までもをぎっしりと加えた方は玉蘭が担当した。唯一合致は円周部----「風」のシンボルのみ。玉蘭が、この精霊との契約を済ませていないと知ったアルシアにより、優先的な履行を指示されたのである。
それが五日前。
以降、不毛ともいえる論争を繰り広げ、今日もまたタイラーの忍耐は、妥協を知らぬらしい玉蘭を相手に試される。
「一度の施術でより多くの源素を得ることが肝心じゃない」
「召喚(よ)ぶだけで多重円陣が必要か?」
「当然の策だわ」
「今の優先事項はシルフとの契約だぞ」
「同じことよ。出来得る限りの高位精霊を召喚して、何が悪いわけ?」
「お前な……再三契約に失敗してる理由、判ってねぇだろ」
「そっちが消極的だからでしょ!」
「俺のシルフは普通に階位を上がってきてんだよ。一々張り合おうとすんな」
タイラーが在学中に「風」を司るシルフとの契約を済ませ、二年近くが経っている。気紛れで有名な精霊のこと、活用の機会に技量故に恵まれなかったとはいえ、そこそこにレベルは上がってくれた。
未使用未履行ならいざ知らず、それは当然なのに、「黒法あるから」の一言で「風」と契約を結ばずに卒業単位を満たした玉蘭は納得できないらしいのだ。
風と通じるタイラーの手を借りること以上に、低位の精霊を召喚しようとする、その姿勢が。
しかし何度チャレンジしても契約に至れない現状では、玉蘭自身の魔法力がどうあれ、ランクを下げて試みるのは仕方が無いはずなのに。
「修練よ、修練。ハードルを上げることの何がいけないの」
「んなことは、一人で交渉できるようになってからだろうが」
「相性合わないんだから、しょうがないじゃない」
「なおさら俺に合わせるべきだな」
正論の盾にされれば引き下がるしかないのは、彼女とても判ること。荒い鼻息を放ち、
「これでやってみせるわ」
「書き直すなら待っててやるぜ?」
「結構よ。そこで見物どうぞっ」
歯を剥きかねない勢いで腰を下ろす玉蘭に、むくれる、という可愛げがあるのなら、男前な気構えに幾らでも付き合ってやるのだが。
失敗するなよ、と嫌味半分の声援を送って、林檎にかぶりついて見守るだけのアルシアの側へ戻れば、こっそりと聞かれた。
「上手くいくかなあ」
「やっぱ無理じゃないスかね」
「どして?」
「相性悪すぎます」
「どっちと?」
「どっち?」
そう返せども、耳側でシャリシャリ、シャリシャリ、瑞々しい歯応えは止まらない。
「シルフとアイツと、てことですか」
「ん、タイラーにはちょっと判らないかも」
「またそんな俺がダメ生徒みたいに……」
「あはは。見ててご覧よ、足元」
これで何度目の契約術の見学になるか、判っているはずのアルシアの言で、タイラーは、なるほどと目を凝らした。
多分にして、失敗の原因か、理由か、玉蘭も気付いてないらしい根っこの部分を、いい加減に悟れというのだろう。
施術に入った玉蘭の唱詠に淀みはなく、開いた魔道書を見てもいない。その辺りさすがと思う。基礎知識、能力ともに、トップクラスで卒業もぎ取ったタイラーから見ても、魔術の習得具合が相性に偏っているとはいえ在学中競い合った誰に劣るものではなかった。
なのに肝心の四大魔法で、何故こうも躓くのかが判らない。
比較的簡単に初歩を修めたタイラーにすれば、それこそ玉蘭が得手にする所じゃないのか、と。
最初こそは左右異なった魔法陣で召喚を行うという、あまりの邪道さに、はっきりと嫌を述べもした玉蘭。しかし「シンボルはあくまできっかけ」とアルシアは意に介さず、まして単独の魔法陣ではシルフを召喚ぶことさえできないと思い知らされれば、不承不承でタイラーの手助けを受け入れた。
が、召喚円陣の作成で話し合いは成り立たず、勝手にしろの結果、これまでに都合四度、左右異なる魔法陣を用いての契約敢行となったのだ。
そして五度目の今。
陣全体へ玉蘭の魔力は浸透しているものの、機能しているのはやはり片側のシンボルだけ。鈍く呪文に呼応するとか、拒絶されるならまだしも、完全な無反応。
珍しい状態だった。
重ねる失敗はそれだと、玉蘭と二人垂涎ものの蔵書を漁ったが、類例を見つけることをできずに、ただ魔法陣を描くこと五度。
「アレの理由が判れば、とは思ってんだけどな……」
「簡単だよ、すっごく単純なこと」
一人ごちるタイラーに、アルシアもぱそりと言うだけで。同じ質問をぶつけた弟子二人にそれ以上応じてはくれなかった。
けれど、今ようやく、ひとつのヒントが出た。
足元。
それは玉蘭の事か、魔法陣そのものか。
呪文の導きがサークルに起こす、小さな風の渦。見慣れてしまったそれは、風司る精霊が誘われる予兆。
ここまでは早いのだ。
渦の中にちらりと小さな影が垣間見え、か細い“声”が聞えてくる。
召喚の何故を問う精霊の“声”に、玉蘭が契約宣言を唱えはじめて----ここから。
いつもこの先でつまづくのだ。
タイラーがよく耳を澄ませても、玉蘭の宣言に過ちはないというのに。
それでも駄目なのだ。
今日もまた、シルフは風の覆いから出て来ない。実体を明らかにすることさえも嫌い、拒絶の一言を放つのみ。
その時だった。
タイラーの注視に触れた、ヒントの意味。
まさしく玉蘭の足元。
ひょっこりと覗くひとつの----目玉、らしきもの。
「……確かアレは」
瞳の無い目玉は発動中の魔法陣に向き合い、移動だにしない。そこでの出来事を理解してのことか判らなくても、見ている、のは確かなようだ。
事実、玉蘭のこぼす悲嘆が風の渦巻きに紛れて消えて、気配さえ絶えてしまえば、目玉はするりと引っ込んだ。
用は済んだ、と言わんばかり。
「玉蘭の……何つったかあの憑き物との相性、てことですか」
「聞いてみれば」
「……どっちに」
「黒法の使者と喋れるんだ?」
つまりは、玉蘭と、だ。
その横顔は、話しかければまたタイラーに矛先向きかねない不服を滲ませる。
「玉蘭。あのよ、」
「やっぱり、契約召喚に他者の利力が混ざるのはよくないんだわ」
「原因が判ったかもしれん」
「あたしにはあたしのやり方があるわけ。判る?」
「まず俺の話を聞け」
「相性がこうも重要だなんて」
「そりゃお前つうか、お前の憑き物次第だろ」
「はい?」
やっとまともな視線をくれたが、玉蘭は眉を思い切り寄せたまま。
いつぞや彼女がしたように靴先をパタし、これだ、とタイラーは念を押してから、
「お前から離すことできねぇのか?」
「離す? 青呼を?」
「そう青呼。ソイツ何とかしねぇと」
「ごめんなさいタイラー、全く意味が判らないわ」
と、音荒く魔道書を閉じて。
タイラーを見る眼が俄な険悪を帯びた。
成せば成るかもしれないぼくら Second-Stage 第1話
20080718
image by 七ツ森