成せば成るかもしれないぼくら
Second-Stage  第3話

 集中力の無い質では決してないのだが。
 雑念が湧いてくる。
 これじゃいかんと思うばかりに、却って次から次からこみ上げて、止まらない。
 リリンと涼やかな羽音響かせる奴の所為だとか、楽し気にソイツへ掛けられる声だとか。或いはじっとり険悪な視線の重み。
 言い出せばきりのない状況。頭を振って息吐いて、思考を澄ませようと幾度も試みた。
 なのに、ことごとく上手く行かないのだ。魔道書のペントグラムが頭に入らない。視界へ入るあらゆるものに気が散らされる。
 おかしい、と。余りにもまとまらない思考に、いい加減腹が立ってきた。
 睨み据えた先の魔法陣は相変わらず。作成者の意図せぬ発動に美しくきらめいている。そして鉄の沈黙と。

「何だっつんだ……」

 思わずごちれば、玉蘭は救い主であるべき者の様子に口尖らせて握り拳。激励ならまだしもの表情に胃の腑から嘆息し、タイラーは取り敢えずの方法を選択した。

「楽しそうなトコを悪いけどな。俺の命令を聞いちゃくれないか」

 そう顧みるや否や、タイラーから遠く漂っていた燐光は一直線に傍へやって来る。呼び出した覚えがなかろうとこのシルフ、主が誰かをきちんと認識しているらしい。

「まず、あのシールドを解いてやってくれ」

 と玉蘭を取り込む魔法陣を示せば、了解とばかりに羽振るわせて翔んで行く。
 在学中その行使に散々手を焼かされた風の精霊の、今この時の素直さ。妙だと危惧した途端だった。
 きゃあっ、
 届かないはずの声が聞こえた気がした。
 シールドの中は再び風が荒れ狂い、へたり込む玉蘭を翻弄する。
 得意げに舞い戻ったシルフに、タイラーは唖然となってしまった。

「……すげ、……って、こらお前!? 何やってんだっ、んなことは頼んでないぞっ」

 伸ばした手を交い潜るシルフを追いかけ、右へ左へ上にと行ったり来たり。
 陣の外円を踏み消しかけて飛び退いて、指先寸前まで待ち構えて翔んで逃げる精霊に、遊ばれているだけなのは知っている。彼の精霊を召喚すればこの程度、不本意ながらいつものことだ。
 とはいえ、あくまでシールドを解かないばかりか、戯れに起こされる風でいつ玉蘭に実害が出るかしれないのだ。ただの気紛れであるうちにと、タイラーは強制執行に踏み切った。

 契約の刻印が刻まれた魔道書のページを開き、ようように唱えた呪文が発した一息。
 空中のシルフを絡め取ったは、タイラーの魔力が形成する見えざる手である。
 エレメント達の大半は、現界へ召喚される等価にこちら側の魔力を要求する。それを支配力とするか、代償となるかは施術者のレベル次第。まして召喚対象をきちんと操る技量を持たないタイラーの場合は、もちろん----

 無理強いで召喚した者に、こちらの意思を遵守させた経験は幾度かあった。初めて召喚術を施行した時、契約にやっと辿り着いた時。傍にはいつもヒゲの老先生が居た。言わずもがなのサポートをしてくれた。
 それが今はどうだ。
 曲がりなりにも弟子と師匠。監督される立場とする者と、学びの途上の学院時代と変わらぬ状況でありながら、ごっそり持っていかれる魔力に泡食う未熟者へ差し伸べられるは、大層愉快気な笑い声ひとつきり。
 しかし薄情を嘆くひまなど、タイラーにはこれっぽちもないのである。
 身体ごと引き寄せられそうな感覚を、根性尽くして踏ん張り堪えるので精一杯。耳に届く暢気な声援に、玉蘭ならばきっと歯を剥いて抗議していたのだろうけれど。

 強制履行の呪文を繰り返し、口内で呟いた。強く、強く、言い聞かせなければならないのは精霊ではなく、タイラー自身の魔力。
 意識をしていなかっただけだ、と。唱詠に凪いでいく力の流れを、今にして気がついた。きっかけは何であれ、シルフを召喚したのは紛れもなく己の、契約交わした魔力であったことを。
 まとまらない思考は制御されない魔力の仕業。
 そうと知れれば、いつしか空っぽになった頭の中、響くアナグラムの余韻。ふっと感じる気配は空虚にも似た集中の合間で、無心にそれを拾い上げた。

 涼やかな音だった。
 近く、遠く。ぼんやりと身に纏いつく。
 手応えのない、風に舞い踊る綿種子のような不確かさもやがてはひとつの律を結びはじめ----

「……えり好み激しいんだな」

 苦笑が零れた。
 と、同時。流出していた魔力が一気に戻され、息が詰まった。
 もう不要と言わんばかりの束縛のその端に、身構えのない身体を強かに弾かれ、転がされ、背中からドンッと硬いものに突撃してしまっていた。

「おわっ、い……てぇ!!----あれ?」

 が、先突いて上げた苦鳴に見合う痛みはない。
 それでも見返った背後は違うことなく、陽射しに美しい純白のタイル塀。実は柔塊なのかもしれないと、恐る恐ると手を触れれば、

「どした? 大丈夫? 間に合わなかったりしちゃったかな」

 そんな声が降ってきた。
 しゃがんだ位置から見上げても、その影は逆光の中だ。

「うお、まぶし……」
「あーやっぱり酷く打ち所が悪そだね」
「はい?」
「よっし。オレが何とかしてあげよう」

 ひょいっと塀から降りて来た人影は、視線の位置を合わせるように腰落とし、何事かと眺めるタイラーの額にぺちっと音立てて手を添えた。
 果実の甘い匂いがこびりつく細い腕の不意打ちに、何だと眉寄せ、はっとした。
 胸が、軽い。
 いかに自前だろうと取り込めない総量の魔力を受け、持て余した身体の負荷が消えているのだ。素直に向けた驚きへ、細い腕の主は紫の瞳に笑み浮かべ、

「何ともなくて良かったじゃん」
「……後で話し合いましょうか。マスター」

 敬称に一際力込めても、疑ってるの、である。
 やはり確信犯か。
 さすがにむっつりと立ち上がったタイラーの、慰めとなるのは成果である。しかも怒声付き。

「ちょっとタイラー!!」

 穏やかな潮騒切り裂く猛々しさは元気な証拠で、ほっと胸撫で下ろす。大丈夫かと言葉かけるより先に詰め寄られても、仕方が無いのだろう。
 たとえ一時にしろ、玉蘭の受けた不本意な束縛は、不発だったはずの召喚魔法により呼び出されたタイラーの契約精霊によって、なのだから。
 その事実を鑑みれば、粉塵と崩れ消えた魔法陣の片割れを威勢良く踏み越えた玉蘭を留めるか、視界の端をすうっと身軽に飛んでいった小さき者を制するだとか、タイラーが取らなければいけない方法は幾らでもあった、のかもしれない。
 再び谺す嫌気の叫びと、無音の風と。
 肺の中、全部の空気を嘆息と押し出して、タイラーはその場に腰を下ろすだけで、本当にもう精一杯だった。

「止めないの?」
「気の済むまでやってもらいます」
「しらないからね、オレ」

 交錯する魔力と自然の利力に、我関せずの気配。
 やがて涼やかな羽音が軽やかに引き返して来て、タイラーはその突き刺さる視線へ呟いた。

「どう考えても俺が一番の被害者だ」

 気侭に舞い踊る燐光は、無垢な白。
 きらびやかな陽の下で一層強く輝いている。一回り大きく見えるのは多分、気のせいだ。








成せば成るかもしれないぼくら Second-Stage 第3話
20080808

image by 七ツ森

Back   Next
return