【朔】
通常業務 「藤原由美」

 板張りの床を蹴破る勢いのピンヒールの足音が、開けっ放しの戸口の向こうから聞こえてきたのは少し前。やがて赤い影が視界の隅にちらつき、やはり目的地はここかと、在室の誰もが無関心を装った途端だった。

「由美ショックぅ! 嗣治(つぐはる)さんお休みだったら仕事しなーい!」

 春うららを裂く雄叫びは、忙しなく立ち働く判事寮(はんじりょう)主室を否応なく機能停止に追い込むのである。

「ダダこねてもしょうがないでしょうが! さっさと報告書受け取って準備して下さい!」

 追い縋って来た青年の叱咤も、露出激しい衣装纏った身体をふんぞり返らせて聞き耳持たず。

「かわい子ちゃんの報告なら何だって受けてあげるわよ、何度も言わせないで頂戴!」
「リーダー! アンタのブサイク嫌いに付き合ってる暇ないんですって! 筆頭命令の仕事ですよ! 俺までとばっちり食らうじゃないスか!」
「遼(はるか)が何よ! アタシの嗣治さんどこやったの!」
「次長は藤原さんのモノじゃないですからー」
「お黙り!」

 戸口を塞いでの遣り取りに慣れた寮員達は、その不毛さにも寛容な苦笑い。総身赤い女が喚く理不尽の解消方法を、宥めるしか能のないサブリーダー以上に熟知しているからだ。一通り発散したであろう頃合いに執務室を呼び出せばいい。
 しかし今日ばかりは、最終手段に頼る前に救いの手がやって来た。ショートパンツにブーツのラフさながらも、お眼鏡叶った美少女の姿で。

「ちょっと由美さんってば!」

 短めの黒髪を結い上げて準備万端、赤い女を睨みつける黒瞳はどこまでも聡明。

「意味わっかんないこと言ってないで行くわよ!」
「いやーんっ梓穂ちゃん発見!」

 と思い切り両腕広げる藤原由美に向け、夏越梓穂は仁王立ちの姿勢から声張り上げた。

「ストーップ! それ以上寄ったら指揮変えてもらうからね!」
「あら? 由美、梓穂ちゃんと一緒にお仕事できるの?」
「さっきの放送聞いてなかったわけ? 三輪さんの代わりにあたしが出んの。文句ある!?」
「ないわ、これっぽっちもないわ! やーん由美幸せぇ」

 打って変わって小躍りする暫定指揮官へ荒い鼻息を見舞った梓穂は、疲れた様子の三輪青年から渡された書類に眼を通した。
 そこには“異常波形探知” “実行/藤原由美” “補助/夏越梓穂”と記されるだけで、梓穂が携わる日頃の仕事には有り得ない簡潔さだ。

「ワガママ言ってごめんなさい」
「いやいや、すんなり送り出せそうで良かった。他の二人はもう経路探査に出たけど、初手には違いないから気をつけて」
「はい」
「ささっ行きましょ」

 組もうとする腕を叩き払い、実行指示と化した報告書を爪まで赤い手に握らせる。不服そうに見下ろしたものの、放り出しもせず大胆な胸元へ押し込んだ。

「後はヨロシク」
「いってきます」
「ちょっと待ってぇな!」

 唐突な関西弁を放って駆けて来るのが赤毛の少年と判るや、由美は再び身をくねらせる。が、梓穂ぉと続くと大袈裟に肩を落とした。

「アンタの鞄、綾子さんが預かってくれてるからね」

 判ったようにそう告げられ、里見省吾はぴしゃりと額を叩き、

「おぉすまんこって。取りに行ってくるわ。----じゃなくて、」
「何よ、あたしこれから調査なんだけど」
「美月(よしづき)サン知らんか?」
「はぁ!? それ何の厭味よ」
「おっとぉ小粋なミステイク。さてはオマエまたフられたな」
「ばっかじゃない。今日は全く顔見てませんから!」
「するとや、オレにはさっぱり見当つかん。困ったなぁボスから書類預かってんのになぁ」
「あら。銀色まだ居たのね」
「俺も見てないな」

 と、声高な省吾へ応じた三輪青年の背後、判事寮でも皆が一斉に首を振っている。

「なんてこった。ほんまに自力で探さないかんのか」
「もし見つけたら捕まえといてよ」
「無茶言うたらアカンで」
「頼んだからね」
「へいへい善処しまっさ。はよ行け。----あ、由美さんもどうかおきをつけて」

 おざなりな省吾に濃厚な投げキッス放つのに由美は夢中で、三輪に背中押されてやっと歩き出すまで、梓穂がとうに出て行ったことに気がつかない。やがて遠くなって行く戯言と威嚇に、総勢となった見送り組はようやく胸撫で下ろすのである。

「いつもいつもご苦労さまで」
「アレでも現場じゃ真面目にやってくれるんだぜ」
「書類も迅速完璧だしな」
「色々手間かかんなきゃイイ女なんだけど」
「オレは普通に梓穂でええわ」
「そっちも難物だよな」
「おかげさんで。……って、オレはのんびりしてる場合とちゃうんやった」
「姿見たら伝言しとく」
「判事寮員ガン首揃えて、そりゃないわ。気配探ったろーとか言うもんでっせ」
「指標符あっても俺等じゃ追えないって」
「あんないけすかん気配、目ぇつぶってても見えそうに思うけどな」
「だから絶気してんじゃないの」
「ウマイこと言いはるわ、これ」
「あ、美月さん」

 何の気ない一言に伸びた一同の背筋。あからさまに顔強張らせる者もいて、聞こえよがしな溜め息の発生源が呆れた表情の判事寮員と知れば、皆が大袈裟に息吐いた。

「あぁびっくりした! なんちゅうウソつきはるかな」
「省吾くんだから許しちゃうけどね。気をつけなさいよ、うちの女子、美月さんの隠れファンばっかりなんだから」
「どうせ顔でっしゃろ」
「当り前じゃない。もうひとつ、ヒイキの理由は判るわよね?」

 悪戯なウィンクに虚しい笑み返すしかない省吾と、一同。念押しされなくても、いい加減散開時だ。

「ほな、ヨシリン捜索に舞い戻ります。居てたら携帯鳴らしてな!」
「おー頑張れ」

 まっしぐらに駆け去る少年へのヘールは業務再開の合図。各人科せられた連動作業に就くべく気を引き締めたところへ、女性陣より先に出た連中の現場到着が伝えられた。







【朔】 通常業務 「藤原由美」
20070506

image by 七ツ森

← 後   進 →
<<戻  
WEB拍手