【朔】
遭遇するもの

    1



 広い駐車スペースはほぼ埋り、二輪専用の場所もまた満車に近い状態だった。
 そこへ、エンジン音騒々しく、新たなバイクが滑り込んで来たのは午後4時過ぎ。空きを探す素振りもなく端の方へと真直ぐに向かい、自転車が一台、スペースの半分を占拠する場所の前で止まった。
 何故ここに、黄色の車体に黒のテープをストライプ状に貼りつけた自転車が止まっているのかと言わんばかりに、フルフェイスのヘルメットが傾く。張られた名前を確認しなくても、このスペースは[都築周矢]に割り当てられたものに間違いはない。

「ったく省吾のヤツ。もっと端に止めろっつってんのに」

 無造作にヘルメットを脱ぎ捨て、そうごちた周矢は、自転車をギリギリまで寄せてバイクを押し入れる。上背横幅ともに恵まれた身体を窮屈そうに捻ってスタンドを立て、自転車のサドルにわざとヘルメットを押し込んだ。
 半地下の駐車場と上の建物は、コンクリートの長いスロープで繋がっている。その入り口の脇に設置された監視ボックスには、いつも眠そうな顔した老人が一人、番をしていた。

「おはようございます」

 そう声をかければ、ややあってから皺だらけの手が上がる。これで出勤扱い、タイムカードを押したようなもの。さらに邸内全ての行動表に周矢の入りが伝達される仕組みの何故は、機械オンチの興味の外。だが利便と信頼性の高さは知っている。

「もう来てんスかね、うちのリーダー」
「ん、みづき君か」
「よしづき、な」
「二日前から入りっぱなしだな。忙しいのかね、上は」
「あんまり俺ら、実感ないんスけどね」
「書類書きする身分になればわかるかもしれんな」

 と、話し込んでしまいそうだった耳に、周矢さーん! と明るい声が飛び込んできた。
 見返れば、駐車場の出入り口から少女が一人、バタバタと走り寄って来る。

「おっひさしぶり! 補習漬けご苦労さま!」

 そんなことを言って背中を叩く。良い音は上がるが、華奢な手の悪戯、さしたる痛みはないのだが。その満面の笑顔だけは、訂正しておかなければならなかった。

「練習な、サッカーの」
「見栄張んなくてもいいって。聞いてるもん、省吾から」
「アイツ。またいい加減なこと言いふらしやがって」
「いまさら何言ってんのよ。周矢さん補習常連じゃん」
「あのな。今回は一発で進級したって」
「胸張るな、恥ずかしい」
「そっちは」
「よっゆう。試験無しで高等部に上がったもーん。今日ね、制服もらいに行ってたんだ」

 それでこの中途半端な入りらしい夏越梓穂(なごししほ)は、ブースの老人にまで、髪切ったんだと、挨拶がてらの女子高生アピールである。

「なら、梓穂ちゃんも来週から後輩か」

 スロープを上がり切ったそこはもう、とある屋敷の内。無機質なコンクリートは唐突に板張りの廊下へと代わり、黒ずんだ艶も美しい柱、白土の壁、ずらりと並ぶ組み木作りの扉と、古めかしい雰囲気をそこかしこに漂わせた日本家屋。

「普通科だけどね。省吾と一緒」
「よく受かったな、アイツ。まるっきり足りなかったんじゃなかったっけ?」
「嗣治さんに泣きついて勉強見てもらったくせに、やっぱり落ちましたはシャレになんないよ」

 それだけの会話をする間にも、何がしかの書類抱える人々が行き交う三叉路の大廊下に合流する。忙しい人の流れは概ね直進と右のルートへと捌け、奥と位置づけられた左へ向かう人は僅か。周矢達もまた、流れに沿うよう最も賑やかな方向へと足を運んでいく。

「で、俺は補習だって言い回ってんのか」
「ていうか、もはや常識?」
「んなことねぇよ」

 苦々しく言い返そうとも、連休となれば学業優先命令が下ってしまう以上は無駄な足掻き。まして少女はもう6年の付き合いになる相手だった。

「周矢さん凹みすぎ。部屋こっちじゃん」
「あ、いや。判事寮に用あってな」
「何々、もう仕事入ってるわけ?」

 角を曲がろうとした梓穂はそれに目を輝かせ、目的の----格段とざわつきに溢れた母屋のほぼ中心に位置する部屋までくっついて来た。

「ちーす、都築です」

 木戸の両側とも開放された部屋に、入室挨拶は必要ないのかもしれないが。ちらりとも目を上げない人間よりは、「補習終わったか」と親しげな笑い声が大勢である以上は必要な礼儀と、周矢はそろそろと部屋に踏み込んだ。

「今朝はいきなりすんませんでした、渡理次長」

 と、周矢が真っ先に向かったのは、二間ぶち抜きで並ぶ机を一望監視する場所の、一際大きな机。責任者が座る場所。

「いや。見落としを指摘される前で助かったよ」

 書類の影からそう言って顔を上げたのは、真摯な言葉が冷たく聞こえるほどに端整な顔立ちをした青年だった。
 渡理嗣治(わたりつぐはる)。肩書きは『一条』判事寮本部次長----大時代なこの屋敷を拠点とする組織に措いて、補佐部局とされる職務を一括で束ねる青年は手元の束から一枚のクリアファイルを抜き出し、腰を上げた。

「梓穂さんも一緒なら丁度良い。都築、君達の担当になった」 
「あっ“流れ”の調査じゃん。初手が周矢さんってどういうことよ」

 横から覗き込む梓穂に言われるまでもない。それは今朝、周矢自身が遭遇した怪異のことだ。

 高校サッカー界では全国中堅クラスのチームの主力として、日夜トレーニングに励むただの高校生である反面、周矢には、生家の生業を----燮和力(しょうわりょく)と呼ばれる特異な能力を受け継いだ故の果たすべき義務がある。それが、同じ燮和力を有する人間の一大集団『一条』の一員として、頻発する怪現象が現実に影響及ぼす前の防波堤となること、だった。
 物心ついた頃からの当り前のその教えは、真っ当なランニングの最中であっても平然と未知なるものへ近づけ、警告する。そして異変を目の当たりすれば最早見ぬ振りは難しく、平凡な日常放棄せざるおえない積み重ねの結果、学業不振気味な学生として中々に厳しい掛け持ち生活となっているのだ。

 そして今朝のものは、組織成員の務めとして、一枚の薄い書類に集約されて還ってきたのである。

[ 初手、報告ともに都築周矢。 ××××地区にて流れを視認 午前7時現在、“場”の発生及び累は未確認 ] 
[ 極めて微弱な鬼力を探知。経過観察 ]  [ 調査求む ] 
 その最後に、実行/都築周矢・補助/夏越梓穂 と別人の筆跡で加えられた書類は、異常報告書から実行指示の指令書となるのであった。

「ランニングの途中でぶち当たってさ、うっかり消しちまったんだよ」
「うっかり走って突っ込んだ?」
「いきなり流れちゃ止めるしかねぇだろう」
「あ、カッコいい。また絡まれてから気がついたのかと思っちゃった」

 本部に在席する唯一の同世代として、この3年一緒に仕事をこなしてきた快活な少女は、鈍い感覚の周矢がしでかした失敗の全てを知っている。
 そして、もう一人。

「遅せんだよ、おまえら」

 ぶっきらぼうもまだマシな、抑揚欠いた低い声。だが梓穂は凄まじい勢いで振り返り、奇声に近い感嘆を放った。

「きゃあっ乱さん! もしかしなくても一緒に出てくれんの!?」

 在室の誰もが微笑ましく見逃すしかない露骨な意思表示に、銀髪銀睛の異彩甚だしい美貌の若者は、輪をかけたしかめっ面。挙げ句、無慈悲だった。

「うるせえな」
「ひっどーい! 3日ぶりに口利いてくれたと思ったらソレってなによ! 大体ねっ」
「美月くん、」

 まだまだ続きそうな声高の苦情に、ひっそりと割って入るは嗣治の苦笑。また始まったかと、梓穂の側をげんなりと離れるだけの周矢は、補佐部局No.2の青年が、事も無く仕事の話に入ってくれたことに感謝した。

「状況は先刻話した通りだ。あれから変調報告はないが、同時に微量の鬼力も残留したままだと思える。今件に判事寮員は同行させない」
「で。問題あるのか」

 判事寮の戸口へ陣取り、煙草片手の若者・美月乱(よしづきらん)は不遜。その見かけが稀なる忘れ難さだけに、眇めな態度の由々しさは相乗的だった。さしもの梓穂とて無言で待っている。

「都築、夏越両名のサポートであることを忘れるな。礼斎筆頭の伝言だ」
「またそれか」
「気をつけてと送り出す代わりだよ」
「くどいと言っとけ」

 そう言い捨てた獣眼は、にこりともしない嗣治を外れ、ようやく周矢と梓穂へと戻り----息が詰まりそうになる。
 慣れた、とはいえまだ一年と半年。良からぬ噂が一度も消えたことのない乱を身近に仕事をこなすようになり、まだそれだけの時間しか経っていない周矢には、この一瞬が、悪寒にも似たものが全身を巡るこの一瞥が、どうしても心から馴染めない壁だった。
 それなのに一度も、彼との仕事を苦痛に思ったことはない。
 行くぞ、と促される背を気軽に追いかける梓穂と同様に。











「何もないじゃん」

 簡単にぐるりを見回して、夏越梓穂はそう言った。
 感覚の鈍さが故に捉えられないのだと、気にも止めなかった朝。しかし感知能力だけならば群を抜いて鋭い少女の断言が、にわかな不安を引き起こす。
 それでも梓穂は、環境が整えばさぞかし賑わうだろう広い交差路の中央から、南方向へ、周矢が今朝観た黒靄の流れを再現するように歩いて行く。

「だから。“場”を観たわけじゃねぇっつったろ」
「で、ここ?」

 振り返った表情は真剣そのもの。

「俺が止めたのがな」
「判事寮はこの辺りで鬼力を拾ってる……」
「そっちもナシかよ」
「周矢さんさ、それ本当に“流れ”だったの?」

 更に二歩三歩、足を進めての問いかけに困惑した。
 周矢が、梓穂とコンビを組んでいるのは、足りない能力を補うための上部決定である。不足した梓穂の実行能力には周矢が、そして周矢に欠けた探索能力へは梓穂の生来の才覚が充てられた。
 そんな相互協力の間柄であることは、梓穂も重々承知のはず。周矢から明確な答えを得られないことも。

 他人をカバーして余る感覚は、一体何を捉えているのか。

「……どういうこった」
「“場”を成立させるほどの“流れ”だったら周矢さんにも観えるよね」
「そんだけ濃けりゃな。省吾でもわかんぜ?」
「あーのーね! 今ここに“場”はないって言ってんの!」

 よく観なさいと、細い両腕が思い切り広げられ、背後から聞こえよがしの溜め息がした。
 気まずく見返った、周矢の数メートル後方。陽光の中でさらに煌めくような銀髪の若者は、ふっ、と紫煙を強く吐き出し、

「----ダメだな」
「ちゃんとやってんじゃん!」
「来るぞ」

 周矢でも、梓穂を見るでもない。美月乱は無表情に2人の間に視線を投げる。
 何を? と銀の獣眼を追いかけるまでもなかった。
 食ってかかろうとした梓穂が咄嗟に飛び退いた、まさにその場所。何もなかったはずの空間から、今朝周矢の観たあの黒い靄状のものが滲み出したのだ。
 瞬く間に1メートルほどの不規則な形を取り、不気味にうねり、見られている、と周矢でさえも察した。
 悪意と呼べる強さで。
 
「いきなりはヤなんだって!」
「鬼族(きぞく)……だよな、アレ!?」
「これで普通確認する!? 早く早く周矢さん! 逃げちゃう!」

 素早く回り込んだ周矢の背後から、梓穂はそう嗾けるが。

「おい、結界符(けっかいふ)」

 あくまでも声音変わらぬ行動指示に、あ、とひとつ零し、一歩だけ前に出た。
 それとの距離を計る間は一瞬。和紙製の呪符を手前の地面に向かって投げつけた。

「広がれっ」

 幾分芝居がかって聞こえなくもない声と同時に、キンッと耳の奥が張る。
 自分のものとは違う燮和力(ちから)によって、空間が一時的に閉じられた証拠だった。
 物理的影響を及ぼすエネルギーを漏らさない為のこの処置は、梓穂の感知した最大限の範囲で構築される。今回の結界(けっかい)は少し小さめ。つまり眼前の怪異を抑えるのに、これが万全のバトルフィールドということだ。

 と、ようやく成り行きを把握したらしい。明確な形状を有さない異様が----「鬼族」と仇名されたものが反応した。
 ぞろりと身崩れるような前進と、膨張。
 また背後に隠れた梓穂から更に距離を取り、周矢が奮った腕のすぐ先で、互いの力がぶつかり、霧散する。だが、相殺されずに残ったものは礫と化して荒いアスファルトを更に削ってしまった。
 そして間髪入れずにもう一撃。
 周矢達が対する存在のうちでも、鬼族とされる危険度の高い段階にありながら、今相手取るそれの余力はすでに無かったのかもしれない。模糊とした身形に蓄えられるエネルギーなど、そう多くはないはずだ。
 人が操るからこそ燮和力と呼ぶエネルギーがぶち当たった刹那、微かな戸惑いを放つことが、その自立型エネルギー体にできた最後の行動だったようだ。

 燮和力の侵食は明白な決着。黒い力を飲み込み、やがては砂粒ほどの光点となり、暮れる陽射しへと溶けた。

 軽く息を吐き、周矢は周囲を見回した。
 つい視覚に頼ってしまう状況確認に観える変異はなし。

「外すね」

 梓穂の合図は、残る気配の無いことと、次への備え。

 鬼族とは、特殊な条件下で発するエネルギー変調の、重大にして、或いはひとつの現象に過ぎないのだと叩き込まれている。小気味よく取り払われた結界もまた、紛れもないエネルギーである以上、全てが終わるまで警戒を怠ってはならない。
 ----筈、だった。

「え?」 

 と呟いた少女を顧みた分だけ出遅れた。
 呪符から逆流する黒い力の唐突さに、動きを止めてしまったのだ。
 反射的に梓穂へ伸ばした腕よりも、自己の燮和力で防御を図った少女の判断よりも、そのひと蹴りは余程に早く、見事な確実性を伴っていた。
 噴出した力を押し返した足は、鼻先を掠めて通り過ぎ、呪符を踏みつけ、停止。
 ぽふんと間抜けな爆発が見慣れたラバーソウルをわずかに持ち上げだが、変事もそこまで。

「……踏んでる」

 恐る恐るの抗議に、乱は思い出したように足を上げ、

「さっさと確認に入れ」

 靴型が残った呪符を慌ててはたく少女に目もくれぬ指示に、周矢は再度の、そして最後だろう残留物の確認を試みるのだった。








【朔】 遭遇するもの
20080115

image by 七ツ森

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