【朔】
想定外

    1



 公園の桜も満開になった、晴れた日のことである。
 昼となく夜となく人群れるはずの憩いの場所に、今満ちているのは静けさのみ。幼子の手を引く母の姿も、ベンチで談話する老人たちも、賑やかな若者達でさえ、今日に限ってこの公園に存在してはいなかった。

 在るのは唯、ふたつ。
 少年と少女と、難しい表情。同じ制服姿で肩並べ、前方を凝視する眼ばかりは真剣に。
 優美な顔立ちの中に意志の強さ見て取れる少女が。
 短い髪と日に焼けた肌も精悍な背の高い少年が。
 似つかわしくない困惑を横顔に張りつけ、二対の視線は中空の一点に据えられている。

 どれくらいの時間、言葉交しもせずに立ち尽くしていたのか。
 少年の顔に、ふと、動けることを思い出したかのような表情が広がった。
 一歩、その場を退がる。
 少女は無言。身を屈めた少年が小石ひとつ拾い上げる行動を問う素振りもない。しかし、掌にそれを転がす表情の真面目さに、堪えきれない息を吐いた。

「ちょっとお、周矢(ちかし)さん。何するつもり?」
「アレを確かめんだよ」
「それで破けちゃったらどうすんの」

 それぞれに憮然と見遣る先。
 アレ、と示される“何か”など見当たりはしないが。

「そこんトコを調べに来てんだろ、俺らが」
「だったら普通、読取りが先じゃん」
「じゃあ、どうなってるか判ったのかよ?」

 小石以外の策も無いらしい少年の苦りきった顔へ、少女はあっさり首を横に振った。

「だから! 言ったじゃん、弾かれちゃうって」
「あ?」
「もうっ鈍すぎ」

 見なさいとばかりに、少女は何も無い中空を真直ぐに指差し、

「態勢が外向きなの。あたしの燮和力(しょうわりょく)じゃどうにもなりません。これ作った人のが全然レベル上」
「にしては、うっすらと俺にも観えてるぞ?」
「大きな結界だもん。ていうかさ、判別に使ってるあたしの燮和力も、いっしょくたで弾かれちゃってんのよ?」
「ああ、」

 それで、と続いたのか、どうか。
 少年が苦笑に紛らせるように口閉ざし、少女は、スカートから引っ張り出した携帯電話を突きつけた。
 ラインストーンで飾ったオレンジ色の最新機種。液晶画面向けたまま指で操り、目的の連絡先を表示させれば、ようやく。都築周矢(つづきちかし)は眉を下げた。

「----梓穂ちゃんに任せる」
「周矢さんの仕事じゃん!」
「俺に判断材料ねぇだろうが……」

 最もな事を苦く言われ、夏越梓穂(なごししほ)は渋々メモリーナンバーをコールした。
 頬に、至って真面目な視線を感じる。見守る方の胃も痛いだろうが、遅い、などと苦情言われかねない超過に、梓穂の方とて憂鬱だ。
 と、呼び出し音が止み、少なからずも構えたのだが。

「へい、まいどぉ! 判事寮(はんじりょう)の里見です」
「やった、省吾じゃん」

 聞き慣れたアクの強い方言に、胸撫で下ろした正直な気分。
 周矢もまた表情を緩ませる。

「おー梓穂やないか。って、オマエいきなりなんやねん」
「ね、今そこ、あんただけ?」
「さては相談事か。言うてみ」
「ちょっとお手上げ。指示欲しいの」
「よし、オレに任せとけ。めっちゃ怖い顔して待ってはる師匠に、怒らんでなって頼んだるわ」
「バレてるなら先に言いなさいよ。さっさと代わって」

 さらりと言い切る笑い声に噛み付けど、詮無いことだと知っている。
 怒ってるでぇ、などと付け足して、受話器を放り出して遠去った馴染みの声。後には、微かなざわめきが伝わってくるだけ。席を離れているのかもしれない、その間。成行きにまた顔をしかめていた周矢へは、首を振ってみせた。

「嗣治さんだって」
「報告上がってんのか?」
「遼さんに? 乱さん留守でそれはないと思うけど」
「こっちで実行可能と判断されてりゃ別じゃねぇ?」
「あたしヤだからね」
「俺も嫌だって」
「何の問題発言かな。梓穂さん、」

 と、携帯電話越しの会話再開は男の苦言。予想外だった柔らかさも、不安の払拭には成り得ない。

「お待たせして申し訳ない」
「ううん全然。こっちこそ、ごめんなさい。どうするかで周矢さんとモメてました」
「なら、比較的安定しているものと判断して構わないのかな」
「はい、たぶん」
「梓穂さん、」
「あたしの力じゃ捌かれちゃうんだもの」
「では……原因の予測は?」

 さらりと流された曖昧さでも許される。だからこそ出されたであろう、この現場。半人前でも可能な処置だと看做され、求められているものは何か、周矢も、梓穂も、重々に知っているのだ。

「結界(けっかい)です。周辺のエネルギー残滓もみんな、ホントきれいに弾かれてます。“流れ”も消えました。ただ、見透せないから中身があるかどうかは判りません。以上」
「都築の見解は?」
「任されてます」
「了解した」

 端的なこの次に、どんな一言が来るか。
 受話の奥、僅かに引いた気配に緊張する。報告相手が更に代わるか、否か。
 そして来た回答。

「呪符(ふだ)は?」
「いつもと同じ結界符なら……」
「確保頼みます」
「----おっきいんですけど、これ」
「できそうにない?」
「うぅ……」

 話の流れを汲み取ったのか、顧みた先では周矢が握り拳の鼓舞をくれていて。
 己の許容は自覚済み。それは、指示する者とて同じことだ。
 うんざりと眺め返した側らの中空。
 相変わらず“何か”はぼんやりと、不確実な面持ちで揺らめくばかり。それでいて確かなのは、やらなければならない物事が其処に在る事実。

 二人ではなく、三人。あともう一人。
 不機嫌な無言で後方に陣取る彼の人ならばこんな時、聞こえよがしな溜息をくれるだろう。
 容赦なく、辛辣に。
 そして判ったように三歩離れた周矢の行動にもまた、急かされた。

「わっかりました! 確保します!」

 お願いします----

 簡単に業務連絡は切れ、最早この最先端技術の結晶は無用な代物。代わって取り出した、短冊型の古ぼけた和紙一枚が拠り所で成否の鍵。
 居ない誰かではなく、己。
 顧みた周矢から返った軽い頷きに、手元に、梓穂は目一杯の威勢を叩き込んだ。








【朔】 想定外
20080425

image by 七ツ森

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